トゥールン・エリクセン『グリッターカード』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD

Torun Eriksen (vo)
Torstein Lofthus (ds)
Kjetil Dalland (el-b)
David Wallumrød (p, el-p, key)
Frøydis Grorud (ts, ss)

1. Outside Inside
2. Words
3. Grittercard (Torun Eriksen, Kjetil Dalland, Kay Løland)
4. Fever Skin (Torun Eriksen, Kjetil Dalland, Kay Løland)
5. Worth Waiting For
6. In Person
7. From Day To Day
8. Picking Up The Pieces (Torun Eriksen, Kjetil Dalland)
9. I Love A Man
10. Under The Window (Torun Eriksen, Kjetil Dalland)
11. About Presence
All tracks written by Torun Eriksen, except where indicated.

「ここ最近僕が聴いた限り、ノルウェーで最も優れた才能を持つボーカリストだ」

ジャズランド・レーベルのオーナー、ブッゲ・ヴェッセルトフトの発言である。彼が絶賛しているのはレーベルの新しい声、トゥールン・エリクセン。このファーストアルバム『グリッターカード』のタイトルトラックの音源を偶然耳にしたブッゲ・ヴェッセルトフトは、その1曲のみでジャズランドとの契約を彼女に申し出たという。

ジャズランドはここ10年ほどのノルウェー音楽、さらにはヨーロッパを中心としたジャズとその周辺の音楽において大きな意味を持つレーベルだ。ブッゲ・ヴェッセルトフトの諸作を中心としたクラブ寄りのジャズ、いわゆるフューチャージャズの発信源として注目されるこのレーベルは、それ以外にももっと幅広い音楽をリリースしている。女性シンガーという括りで見ればどうだろうか。レーベルのクラブジャズサイドをブッゲ・ヴェッセルトフトと共に代表する人気デュオ、ビーディー・ベルのベアテ・レックは確かな歌唱力とポップなソングライティング能力を兼ね備えた若いシンガーだ。一方、レーベルの前衛的なサイドを代表するシッツェル・エンドレセンは実験精神に溢れるヴォイスパフォーマーで、決して美声ではないのに説得力のある声、そして音楽と歌詞の両方で独自の世界を持つアーティストだ。

このトゥールン・エリクセンはどんなシンガーだろう。見かけはブロンドの長髪の、絵に描いたような北欧美人だ。ブッゲ・ヴェッセルトフトがたった1曲で惚れ込んだのはどんな声なのか。アルバムを聞き始めて15秒、彼女の声が聞こえてきた途端、私もまたその声に魅了されてしまった。ただしそれは相当に予想外の声だった。アルバムがリリースされた2003年9月の時点で26歳というから現在のノルウェーでは遅咲きの部類に入るこのシンガーの声には、今まで一体どこで歌っていたのだろうと思わせる深みがある。少し低めでハスキー、おおよそ北欧的ではない。26歳にしては落ち着いた、人間的な温かみに満ちた声。トゲトゲした心を包み込んでくれるような、けれど安易な「癒し系」とは異なり、芯が強そうで、地にしっかり足のついた懐の深さを感じさせる。

音楽を専攻していた高校時代から作曲を始め、10代の後半はゴスペルグループでソロイストとしても活動し、その後、北欧舞台スタジオ協会という、その名のとおり音楽ではなく演劇がメインの学校で学んでいる。様々な舞台、テレビ番組、フェスティバルへの出演、そしていくらかのアルバムにゲスト参加しているが、これまで目立った活動はさほどなかったと言えるだろう。ジャズランドからのアルバムリリースで一躍注目されるようになった彼女は、地元オスロで行われたデビューアルバムのリリースコンサートをソールドアウトにし、話題をさらう。アルバムは本国ノルウェーに続いて2004年4月にはヨーロッパでもリリースされ、各国で高い評価を得ている。特にドイツでは驚くような熱烈さで受け入れられ、去年に続き今年もドイツ各地を回るツアーが予定されている。

トゥールン・エリクセンは優れたシンガーであると同時に優れたソングライターでもある。R&B、ジャズ、ポップスと幅広い音楽に影響を受けたそのメロディーは彼女自身の声のためにある。ジャンル云々よりもっと普遍的に良質な音楽という表現がぴったりの、穏やかでシンプル、そして適度にポップなメロディーも彼女の声同様美しく、温かみに満ちている。ジャズかと問われればジャズではないけれど、ジャジーではあり、それよりむしろシンガー・ソングライターのスタイルに近い。彼女はまた全編英語による歌詞も自ら書いている。このアルバムのサンクスリストにもあるように、シッツェル・エンドレセンがトゥールン・エリクセンの歌詞の面でのサポート役だというのも興味深く、意外な「ジャズランド繋がり」だ。

サウンドで鍵を握るのはトゥールン・エリクセンの音楽面でのパートナーであり、楽曲にも貢献しているベーシストのヒェーティル・ダラン。弾いているのはエレクトリック・ベースのみ。ジャズランドといえばテクノを吸収したビートをダブルベースで表現するのが典型的だが、トゥールン・エリクセンの音楽に関してそれは全く当てはまらない。このアルバムのエレクトリック・ベースは徹底してハネない。R&Bに影響されたファンキーなナンバーもあるけれど、そこでもあくまでも滑るように動く。

メンバーで最もノルウェー的な音の持ち主は女性サックス奏者フレイディス・グルリューだ。出番はわずかだが、静かにボーカルをサポートする柔らかい音によるソロは短くとも印象に残る。彼女は Vintermåne というトラッドジャズトリオで1997年から活動しており、2枚のアルバムリリースがある。他にもフェスティバルの委託作品などを手がける作曲家でもある。

このアルバムの音楽を現代的にするタイトでシャープなビートを叩くトーシュタイン・ロフトフュスは、ジャズランド・アコースティックに“Shanghai Sweet Devil”(2003年)というシリアスなアコースティックジャズの作品を録音している Shining のメンバーでもある。他にもポップスやジャズなど様々なユニットへの参加がある。

トゥールン・エリクセンのバンドは彼女を含めて5人だが、曲によっては楽器の数を減らしとてもシンプルに歌を聞かせるものもある。その最小パターンがピアノやベースとのデュオで、静かに美しいピアノを弾くのがもう1人のレギュラーメンバー、ダーヴィッド・ヴァルムレー。他の曲のエレクトリック・ピアノもサウンドの中核を占める重要なパートだ。彼は ECM に所属するピアニストのクリスティアン、ロックバンド Span のドラマーのフレドリック、Rune Grammofon から Susanna and the Magical Orchestra としてデビューしたシンガーのスサンナらヴァルムレー兄妹の従兄弟にあたる。

他にはブッゲ・ヴェッセルトフトがパーカッションでちらりと顔を出す他、そのブッゲ・ヴェッセルトフトの作品にも参加し、また最近ではサブトニックというこちらも女性ボーカルを擁するクインテットでのアルバムのリリースもあるトランペッター、ウーレ・イェーン・ミクレビュストなども色を添える。トゥールン・エリクセンは自身の音楽を表現するのに最も適したバンドを構想し、自らメンバーを選んだという。いずれもひとつのジャンルに収まらない幅広い活動をしている若い実力派ミュージシャンたちだ。

アルバムのプロデューサーはブッゲ・ヴェッセルトフト。このアルバムが新人シンガーのデビュー作とは思えない完成度の高さを見せるのは彼によるところが大きい。「ブッゲをプロデューサーに迎えられたのは本当に素晴らしかった。私たちが細かいことのほうに気を取られてしまっていても、彼にはちゃんと全体像が見えているから」とトゥールン・エリクセンは語っている。

ノルウェーの音楽、ジャズランドの音楽、ジャズ…そんな先入観で武装しているかもしれないリスナーの心の扉をあっという間に開けてしまう力をこの音楽は持っている。まっすぐに心に届く歌であり音楽である。そして、長く寒く暗い冬を乗り越えなければならないノルウェーだからこそ、その闇に小さな明かりを灯すような音楽が生まれるということを心に留めておきたい。

2005-04-27 / ユニバーサル ジャズ&クラシックス / UCCM-3069 / 原盤 Jazzland Recordings, 2004