lives 2004

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2004-10-08 / 09 LAPIN ET HALOT (東京) > photo

Susanna and the Magical Orchestra
Susanna Wallumrød (vo)
Morten Qvenild (key, synth, electronics)
set list:
1. Don't Smoke In Bed
2. Believer
3. Hello
4. Sweet Devil
5. Baby
6. Turn The Pages
7. Friend
8. You
9. Distance Blues And Theory
10. Jolene

11. Go
12. Hallelujah

8日は1-10 + アンコール 11
9日は1-10 + アンコール 12, 11


フライヤー2種。
クリックすると大きいものが見れます。
(flyers designed by kei wakabayashi)

歌を歌うというのは、きっと他のどの楽器を演奏するのとも比較にならないくらいパーソナルな行為なのだろう、と私が勝手に想像したのはライブ直前に彼らのデビューアルバム "List of Lights and Buoys" を聴き返した時のことだった。

8日は招待で来場されている人も含めて会場は一杯に埋まり、そのことに誰よりも驚き、そして喜んだのは本人達だった。9日は土曜日ということもあり、本当だったら前日とは比べ物にならないくらい入るはずだったのに、大型台風の直撃という事態で、会場はおよそ半分弱の入りとなった。本人達はそんな状況を気にするふうもなく、外でライブをやったらドラマチックかもね、などと冗談を飛ばしている。

ステージ左側にはボーカルの Susanna Wallumrød、右には「独り magical orchestra」の Morten Qvenild。8日は2人とも黒の服で合わせ、ライトもシンプルでやや控えめ。9日は2人ともトーンを落としたブルーの服、ライトはかなり強めで、時折赤いライトが挟まれ、それが Susanna Wallumrød のブロンドの髪を赤く染める。登場してオーディエンスに会釈をした彼らは、思った以上にスラリと背が高く見えた(実際高いのだけれど)。と目を落とすと Susanna Wallumrød は靴下で、靴は最初から履いていない。

"Don't Smoke In Bed" - アルバムには入っていないスタンダードの静かな演奏でステージはゆっくり滑り出す。すぐに、冒頭の、私がその日の昼に考えたことはまるで見当外れ、いや正確にはまったく違う、正直に言うと予測もしなかったことが目の前で展開されていることに気づいた。

彼らは音楽を「演っている」のだろうか。Susanna Wallumrød は本当にそこにいるのだろうか。少なくとも私の知っている彼女はそこにはいない。

彼女は歌に感情を込めない。歌詞に感情を込めない。音楽に乗りもしない。高い椅子に腰掛けた彼女は、靴下を履いた左足を伸ばし、つま先立ちをするようにそっと地面に触れ、もう一方の足は椅子の脚にかけている。そして視線を他の誰にも立ち入れないところに向け、声を発する。何か、見えない力からの教示を受けるかのようにメロディーを綴る。それは Susanna Wallumrød という、そこにいる(はずの)24歳の女性の声を借りて届けられる、目に見えない不思議な「何か」だ。

隣の Morten Qvenild は、全ての曲で最初に曲を始める役割を担っているが、決してボーカルが入ってくるのを待ってはいない。大半の時間を目を閉じて演奏し、少し離れたところにあるノブ類を触る時には目を開ける。かと思えば突然立ち上がり、猫背で頭からキーボードにのめり込む。正面にはエレピ、その上に KORG と EVOLUTION (テープで手書きの「R」の字が貼り付けられ、「R」EVOLUTION になっていたが)が載っている(この手の機材には全く詳しくないのと、背面しか見えないため何なのかはよくわからない)。向かって右手にもなにやら機材、左手にはシンセと周りをぐるりと楽器に囲まれる格好だ。しかし Morten Qvenild は必要最低限だけ機材に触り、まるでそこには何もないかのように自由に心の趣くままに音楽に没頭している。向かって左手にいるパートナーのほうへは時折視線を送るが、ちらりと、彼女がそこにいることを確認する程度だ。

2人は静かにそこに佇み、空間に音が満ちてくる。

曲は、シンプルなアレンジはアルバムそのままながら、少しずつ変化が付けられ、また Susanna Wallumrød がすうっと息を吸い込むまでは Morten Qvenild の独自のセンスで自由に構築される。一編の詩の朗読でもするかのような簡潔さで曲は終わり、ステージが暗転してから 2人は会場に会釈し、拍手が送られる。MC をとるのは全て Morten Qvenild 。マイクを引き寄せ、普段の彼に近い素朴な口調で話す。短い MC の時間の大半を使って、熱心に静かに耳を傾けている観客を称える。会場がそのなんともほのぼのした語り口に少し緩む。隣の Susanna Wallumrød は、まるで自分が言いたいことを Morten Qvenild に代弁してもらっているかのように微笑をのぞかせる。けれど Morten Qvenild の MC が次の曲の紹介に差しかかる頃には「素」の彼女はすうっと消え、音楽を表現するだけの Susanna Wallumrød になる。

初日に2つ小さなハプニングがあった。ステージがちょうど真ん中に差し掛かった時− 私はちょうどカメラに中望遠レンズを付けそれを Susanna Wallumrød に向けていたのだけれど − ファインダーの向こうで突然 Susanna Wallumrød の白い頬に赤みが差し、見る見る目元が潤んできたのだ。多分普通に見ていたら気づかない程度の変化だったのだけれど、私はそのあまりの表情の変化に驚き、次の瞬間にも彼女は泣き出すのではないかとハラハラした。しかし彼女は何とか持ちこたえ、曲が終わると共にそれはすっかり跡形もなく消え去ってしまった。

一体何が起こったのだろう…その答えは意外なことに彼女からではなく自分の中から出てきた。その数曲後の曲で、何かが体の中で反応し、おなかの中から温かいものが上がってくるような気がして、急にそれが目元にきた。それは音楽が心の深い深いところに到達したような、そんな感覚だった。

Susanna Wallumrød はステージに歌詞を書いた紙を持って上がる。Dolly Parton のカバー "Jolene" だけは活字でそれを拡大コピーしたみたいなもの、他は全部手書き、丁寧にも2人のどちらが書いた曲かまで書いてあったりもする。新曲の歌詞はノルウェーのどこかのホテルに備え付けられていたレターペーパーにびっしり書かれていたりして、彼らの曲がどのように作りだされるのかのほんの一端を垣間見るような気がする。曲が終わるとその1枚は足元に落とされ、ステージが進むにしたがって譜面立ての上の紙の枚数は減り、靴下を履いたその足元に紙が散らばってくる。

彼女は実際、その紙をかなり見ている。一フレーズごとに歌い出しの歌詞をちらりと確認する、つまり歌っていない間に見ているのだ。もう何十回も、いやもっと歌っているだろう曲を、歌詞を確認しながら、まるで初めて歌うかのような新鮮さで歌っていく。どこか遠くへ飛んでいってしまいそうなステージ上の Susanna Wallumrød をステージ上に留めているのは、傍らの Morten Qvenild と彼の演奏、それから彼女にとって母国語ではない言葉で綴られる歌詞だ。初日、Susanna Wallumrød にとって最も昔からのマテリアルであろう "Jolene" の途中、彼女はもう少しで本当にどこかへ飛んでいってしまいそうになり、慌ててその命綱の歌詞カードを目で捉えた。Morten Qvenild はこの曲のポロン、というあの伴奏を弾くためだけに持ってきたかのような右側のほとんど使っていなかったシンセに向かっている。

最後まで残った歌詞カードの役目が終わり音楽が終わると、ステージ上に残された唯一の命綱、Morten Qvenild がすっと Susanna Wallumrød のほうに歩み寄り、そっとサポートするようにして2人で挨拶し、Susanna Wallumrød はやや所在なさげに、Morten Qvenild は演奏している時とは打って変わって無邪気な感じすらする雰囲気でステージを去っていった。

アンコールにはアルバム最後の "Go"。初日、曲紹介の MC で、「次の曲は皆さんが家へ帰るための曲で…"Go"…あ、いや、別に帰れというわけではなくて」と思わぬ笑いを取った Morten Qvenild は2日目は慎重に言葉を選んだが、2日目にはその前に Leonard Cohen の、というより Jeff Buckley の、と言ったほうがいいのかもしれない"Hallelujah" を披露した。前日のセットからは意図的に外された曲で、彼らが一緒に演奏するようになって4年、最も長い間演奏している曲だという。始まっても本当にこの曲なのか分からない位のスーパースローバージョン、あくまで淡々とした切り口がいかにも彼ららしい。

1日目と2日目は、両日の衣装とそれに合わせたかのようなライトの違いとちょうど同じくらいの差があった。1日目のほうがやや硬く、少し緊張感が漂い、2日目はほんの少し強く、ほんの少し大きめのステージングだった。そして観客の反応は、人数が半分以下だったにも関わらず、2日目のほうがずっとよかった。もっとも、あの嵐の中ずぶぬれになっても会場へ足を運ぶ人は、Morten Qvenild の言葉を借りるまでもなく素晴らしい観客に違いないのだけれど。

2日目、開演直前は大嵐だったが、会場は地下でそんなことは演奏が終わる頃には忘れそうになっていた。すっかり普段のモードに戻り、2公演とも終わったことでリラックスした Susanna Wallumrød と2人、かなりの覚悟をして外へ出たら外はすっかり晴れ上がっていた。予想外のことに驚いて騒いでいたら、いつの間にか先に外に出て待っていた Morten Qvenild がそこにいた。道路のあちこちに木から振り落とされた残骸が散らばる中、空気はどこまでも澄んで冷たく、ちょっとオスロにいるかのような錯覚を覚えた。(2004/10/17)


2004-05-23 渋谷 EGGMAN (東京) > photo

Farmers Market

Stian Carstensen (accor, g, kaval, vo)
Nils-Olav Johansen (g, vo)
Jarle Vespestad (ds)
Trifon Trifonov (as)
Finn Guttormsen (el-b)

> pictures : [with java script] [without java script]

2001年6月のたった1回の来日公演から3年、Farmers Market が2度目の来日を果たした。今回は 5月22日の夜、5月23日の昼と夜の3回公演、場所は前回公演(私は見逃したが)よりかなり狭いところで、小さいライブハウスといった感じのところだ。

オープニングアクトの演奏が終わったあと、わりとさっさとメンバーが登場。中央に Stian Carstensen 、アコーディオンを弾く時のみ椅子に座る。右端はギターとボーカルの Nils-Olav Johansen 、その左(中央奥右より)にエレクトリックベースの Finn Guttormsen 、中央奥左寄りに ドラムの Jarle Vespestad 、そしてステージ一番左端にアルトサックスの Trifon Trivonov。

Stian Carstensen のアコーディオンは MIDI アコーディオンで、右手のところにずらっとボタンが並んでいて、突然ハモンドオルガンに変身したりする。彼はアコーディオンの他にギターや東欧の民族楽器カヴァル(横笛)も吹く。Nils-Olav Johansen のギターはやはり同様に MIDI 仕様になっていて、こちらも突然バンジョーやらフィドルやらに変身する。バルカン音楽といってもブルーグラス風になるときはこのバンジョーの音が活躍する。そうでなくても芸達者な2人にこの楽器で、めまぐるしい。

曲目は、恐らく最初の2曲ほどだけ事前に決められていて、あとはその場の流れでテキトーにチョイス、と言った感じだ。この日のファーストセットはブルーグラス風の軽めの演奏で始まった。軽め、といっても Trifon Trifonov のアルトと Stian Carstensen のアコーディオンは超高速ユニゾンをばっちり決めるし、CD で聴いていたとはいえ生で見ると圧巻だ。

Nils-Olav Johansen はギターはもちろん、ボーカルもこのユニットでは大きな役割だ。ボーカルといってもずっとふざけているというか、芝居がかったパフォーマンスで、この日は2セット通してついに真面目には歌わずじまい。念のため、彼は本来非常に上手いシンガーで、スキャットや少しソウルよりのボーカルを得意としていて、ただ、Farmers Market では終始「パフォーマンス」に徹している。

Finn Guttormsen はエレクトリック5弦ベースを実にさりげなく爪弾いていた風だけれど、次の瞬間何をしでかすか分からない Stian Carstensen と Nils-Olav Johansen をしっかり捉えていて、彼らがふざけている間も地味にビートを刻んでいて音楽が停まらないようにしている。

Jarle Vespestad は、フロントのやりとりを見て笑いながら、なんでもない顔をして変拍子を軽やかに叩きだす。レコーディングを聞いていたらあまりにもさりげないので大変なことをしているように感じられないのだけれど、実際生のステージで動きをみていたらやはり普通ではない。彼はスネアより2回りほど小さいタムのみ持参していて、このカンカンと高い乾いた音を出すタムを始めとする硬い音がキーになっていた。

ステージ左端の Trifon Trifonov はメンバー中唯一ブルガリア人で、トロンハイムの音楽院でしっかりジャズを学んだ他のメンバーとは明らかに違うバックグラウンドを持っている。ジャズベースのセッションに流れた時は不参加を決めていて、ファーストセットではバックステージに引っ込んでしまっていたが、セカンドセットでは自ら椅子を持参して座って休んでいた。ストレートな吹き回しのアルトで「本場」のプレイヤーならではの演奏、真面目な雰囲気の彼は反対側にいる Nils-Olav Johansen とは好対照なカラーを持っている。

中央にいてアコーディオンを弾いたり、立ち上がって笛を吹いたり、またギターを弾いたり歌ったりと忙しい Stian Carstensen はこのバンドの司令塔だ。横から Trifon Trifonov が注文をつけていたりするし、振り向いて Jarle Vespestad に曲を終えるか訊いて、もうちょっと、と言われればちゃんと別の展開で曲をつなげたりする。他にも観客を煽ったりするのもほとんど彼の役割だ。

この日のファーストセットは比較的ゆるやかなセットで、客席の端で踊りだすお客さんもいたりした。Stian Carstensen と Nils-Olav Johansen のスキャット対決があったり、お客さんもその変な声対決に参加させたりと、客席とステージが一緒になった和やかなコンサートだった。一方のセカンドセットはそれを踏まえてか、最初に高速バルカンビートの曲を非常に真面目に2曲続けたが、いつのまにやらやっぱり和やかな雰囲気になってしまっていた。

ファーストセットでは Stian Carstensen がお客さんに向かって「何か演って欲しい曲は?何でもやるよ!」と言ったものの、さすがに曲名まで言える人は…と詰まっていたら、突然昨日テレビで見たというJ-POPの真似をして笑いを誘う。結構それ風だったのには驚いたが、結局後ろから Jarle Vespestad が助け舟(?)を出し、"Nothing's Gonna Change My Love for You" を演奏。Nils-Olav Johansen が「熱唱」を演じる。セカンドセットでは途中のやり取りの真っ最中に誰かが "Last Christmas" を挟んだらバンドごとこの曲の演奏になだれ込み、おやおやと思う間にまたちゃんと元に戻ったりした。途中、Stian Carstensen が「僕は僕自身を愛してるよ。君のことも好きだし、君のお母さんは好きじゃないけど、君のお父さんは好きだよ。お父さんのお父さんもね。」というようなセリフを曲中に挟んで笑いを取っていたが、今回こういう他愛のない「ゲイネタもどき」が多かった。Nils-Olav Johansen と Stian Carstensen とのやり取りもそれ風のノリで「スティア〜ン♪君もギター弾くの?」「そうだよぉ〜一緒に弾こうよ、僕達友達だしね♪」というような感じなのだけれど、彼らにかかると色物にはならず、ひたすらコミカルだ。

セカンドセットは終盤に Stian Carstensen が「これがステージで一番お気に入りのところ」と紹介して Trifon Trifonov のアルト2本吹きの曲を演奏。アルト2本はお互い固定されていて、いっぺんに2本吹いて、違う音程を出して1人で2つのラインを出してしまうというもの。真面目な印象の彼だけれど、こんな曲芸も真顔でこなしてしまう。その日の最後はなぜかジャズセッションに突入、3割くらいの抑えた音量で静かにジャズを演奏。ただ、やっているほうも見ているようも箸が転げてもおかしい状態になっているので、Jarle Vespestad のブラシによる最小音量ソロのシュパパパポポポという音ですら笑いを取ってしまう。それにしてもこういう日常的なセッションのレベルが実に高いところにいつもながらノルウェーのこの周辺のミュージシャンの実力を感じる。

真面目な雰囲気の Trifon Trifonov は、演奏が終わって引っ込む時に一番最後に引き上げながら、後ろ手でアンコールを煽って帰っていく。彼もまた、Farmers Market らしいユーモアの持ち主なのだ。ファーストセットの時もアンコールをたっぷり演奏してくれたけれど、セカンドセットでは Nils-Olav Johansen がギターを置き、マイクを握り締めなにやら熱唱(のふり)。Stian Carstensen はギターの音量を最小限にしてマイクで拾って鳴らしている、と思ったらいきなりシールドまで抜いてしまってかき鳴らす。その次はこの日初めてのあのメドレー。セカンドアルバム "Musikk Fra Hybridene" (1997) に収録されていた "Tails Of The Unexpected"。アレンジはほとんどそのアルバムバージョンと変わらず、2〜3箇所つなぎが違ったかもしれない、という程度(ただし Jan Garbarek の "Molde Canticle" のところで何故か雄叫びが入ったが)、けれどやっぱりこの曲を聴かないと帰れない。

最後に Jarle Vespestad が Stian Carstensen のところへ、Finn Guttormsen が Nils-Olav Johnsen のところへいって一緒にコーラスを歌ってこの曲も終わり、急かすように会場が明るくなり、BGM が流れ出した。実際かなり時間は押していて、会場としてはこれが限界だったようだ。けれどお客さんの拍手は止まない。結局お客さんが勝ち、メンバーがもう一度登場、この日最も高速で大音量なバルカンビート。2人のボーカリストはデス声で叫んでいるし、ギターやベースは猛烈ダウンピッキング。速くてラウドな極短バルカン変拍子デスメタルは恐ろしいキレ具合でバシッときまって、「もうこれ以上できないんだ、ごめんね!ありがとう!」と最後の一言。

全体的に、1つのネタをそこまで引っ張って大丈夫かと思うシーンも多々、例えばコミカルな歌やジャズセッションなどがそうだったのだけれど、それは結構危惧に終わり、だれずにちゃんとお客さんをひき付け続け、くるっと展開して高速ユニゾンでばっちり決める、その際どいバランスを上手く保っていたと思う。終始エンターテインメントに徹していたが、それを支えているのはやはり非常に高い個々の演奏能力、それにバンドとしてもう13年も一緒にやっているという阿吽の呼吸だろう。ノルウェーでは最近、やはり東欧風の音楽をベースにし、奇抜なパフォーマンスをするというバンドが登場し大人気だが、ユーモアのセンスと演奏能力を持ち合わせた Farmers Market は今尚ユニークな存在だ。

彼ら自身がリラックスして音楽と演奏を楽しんでいたのがとても印象的だ。リラックスしすぎて、演奏中に暇になると座り込んではタバコをふかしたりするメンバーもいたが、それすら笑いの要素になってしまう。本当に楽しいパフォーマンスでお客さんも大いに盛り上がり、Farmers Market はレコーディング作品以上のなにか、ライブならではのパフォーマンスができるグループであり、Stian Carstensen が連発していた「Farmers Market ハ、イツデモシンセン!」にも納得(!?)、全てのステージが終わった時にまた見たいと思う、そんな雰囲気を味わえたのは貴重だったと思う。 (2004/05/30)


2004-04-27 サンケイホール(大阪)

David Sylvian
David Sylvian
Steve Jansen
高木正勝

2004-04-17 BRIDGE (大阪) > photo

Ivar Grydeland (g)
内橋和久 (g, daxophone)
田中悠美子 (浄瑠璃三味線、大正琴)

Ivar Grydeland がギター1本を持って日本に来た。大阪の会場はフェスティバルゲートというアミューズメントパークの8階にあるライブスペース。ステージも客席もがらんと広い。ステージには3人、お客さんは10人ちょっとだっただろうか。

開演予定の7時半を大分回った頃、突然ミュージシャンと観客が持ち場に散り、演奏が始まった。中央に Ivar Grydeland、アコースティックギターはエレアコにもかかわらず、マイクもセットされている。小さい木箱の上には小物がいっぱい並んでいる。ステージ左に内橋和久。最初はエレクトリックギターを抱えていて、同じく小さな木箱の上にはサンプラーなど(機材には詳しくないので詳細不明)が置かれている。ステージ右に田中悠美子、小学校の机みたいな机2つをあわせた上に布がひかれ、その上に三味線が横たわっている。

3人は今回初めて一緒に演奏する。内橋和久が5年前、Kongsberg Jazzfestival (ノルウェー)でセミナーを行った時、Ivar Grydeland が聴講に来ていたそうで、それがそもそものきっかけだそうだ。田中悠美子については、Ivar Grydeland が Improvised Music From Japan からリリースされている10枚組ボックスに収録された彼女のソロ演奏を聴いて大変気に入り、今回の来日にあたってコンタクトをとったというから、共演どころか、顔を合わせるのも初めて。

音楽は全くのインプロのようだ。3つの弦楽器による演奏は、3人の持つリズム感の違いを強調する。最もアグレッシブなのは内橋和久だ。ギターを弾きながら、サンプラー(か何か)のボタンをビシビシと、スイッチを切り替えるというより叩くといった感じで、その機械を叩く音は1つの小さな打楽器のようでもある。サンプリングされた音は、こちらの予想外のタイミングで放出される。視覚的にもよく動く彼は静かなステージの「動」のポイントだ。

Ivar Grydeland は、SOFA レーベルの諸作で聴かれるような、澄んだ小さな響きを断続的に響かせる。E-Bow とよばれる小さな髭剃り状の機械や、さらにデリケートな振動を与えるホッチキス状の物体なども使用。他にはゼムクリップでプリペアドにしたり、スチールたわしでボディーをごしゃごしゃとこすったり、ヴァイオリンの弦で弾いたり叩いたりと様々だけれど、どの音も非常に繊細だ。弦に加えられた振動をボディーで音にするように、棒状のものを当ててごごご、という音を作るなど、単にギターを弾くというより、ギターを媒体とした「音」の可能性を静かに展開しているような演奏だ。

小柄な田中悠美子は、仰向けに横たえられた三味線の上に金属製の灰皿のようなものをのせて弦を弾いたり、と最初は予想外の展開。途中で楽器を持ち、三味線本来のスタイルで弾き始めた、とふと左手を見ると、ボトルネックのような効果を出している小道具はなんとスティックタイプのり!いわゆるインプロ的な弾き方もあったものの、突然三味線らしくベンベンと鳴らし、歌詞のついた歌が流れだしたのがとても面白かった。日本人である私でもあまり馴染みのない音楽で次のタイミングの予想はつかない。横の Ivar Grydeland は最初こそちょっと空白を作ったが、その後は涼しい顔をしてちゃんと合わせたのにはさすがインプロヴァイザー、と感じさせられた。

途中での大きな変化は、内橋和久がギターを置いてダクソフォンに向かったことだ。この珍しい楽器は私は初めて見た。簡単な三脚の上に雲台のようなものがあり、そこにカーブした雲形定規みたいな木片を差し込んである。左手にミニミニ洗濯板というか、横筋の入った手にすっぽり収まる黒板消しみたいな物体を持ち、それで木片の根元のほうを押さえ、右手に持った弓(ヴァイオリンのものだろうか)で木片の先のほうをこする。雲台からはコードが出ているのでアンプから音がでているようだ。音は実に多様で、時に人や動物の声のような、楽器からでているというよりもっと生き物のような音を出す。他の楽器が、田中悠美子の声を除けば無機質なものが多いだけに、この楽器の音はひときわ印象的だ。

ステージは長い演奏1曲を終えたところで休憩を挟み、第2部はそれぞれのソロから始まる。最初にステージに上がった田中悠美子は三味線を抱え、ローポジションを押さえ、右手で弦を弾きながら、ハイポジションに少しずつ移動していく。手の位置は変わっていくのに音の高さは変わらない。ピンピンピンと小さな小さな音ではじき出された音はやがてネックを一往復し、と突然、「終わりました」との意表を突いた一言に思わず観客から笑いがもれる。

次に演奏したのは Ivar Grydeland 。ギターを膝の上に載せ、弦にクリップを2、3個止める。ホッチキス状の機械がネックの上にちょこんと乗っかって小さな振動を伝えている。やがてホッチキスは2つになり、少し移動させられたり、ボディの上に何かが載せられて共鳴したり、とにかく普通ではない。丸い蝋燭から紐が出たようなものが一番柔らかい低い音をたてて滑っていく。ギターの上はまるで1つの小さなステージのようになり、何か振動で落っこちるのではないかという考えが頭をよぎったりしたけれど、そのミニマルな「小さなステージ」は観客の注目を集めて無事終了した。

3人目に登場した内橋和久は、ちょっとこちらの予想に反してギターに向かった。彼の演奏はわかりやすい、と思う。躍動感があり、そのサンプリングを使用した音と、その音の隙間の作るタイミングはスリリングだ。Ivar Grydeland とは対照的に、内橋和久はギター本来の音を、出す、止める、リピートする、歪める、重ねるといった比較的シンプルな方法でアレンジし、空間と時間を自在にコントロールする。

最後にもう1度3人で、こんどは短めのセッションがあった。田中悠美子は大正琴に向かっている。とはいっても、端の弦のはみ出ている部分を胡弓の弓(これがコントラバス用のものの倍ほどの長さがありびっくり)でこする。この最後のセッションで面白かったのは Ivar Grydeland のギターの上にオルゴールが2つ載っていたことだ。ギターを弾きながら、時折その小さなとってをくるくるくると回して小さな別の音楽を奏でる。それに反応したのが大正琴。大正琴本来の弾き方で弾き出された「和」の音は、ギターの上のオルゴールと別の音のはずなのに不思議なほど似た響きだった。

とてもユニークなセッションは、程よい緊張感を湛えて終了し、後はとても和やかな雰囲気になった。このセッションの目撃者が少なかったのがなにより残念だと思った。 (2004/04/30)

※ この日のライブの写真をそのうちアップします。


2004-02-25 すみだトリフォニー大ホール(東京)

Jan Garbarek Group
Jan Garbarek (ts, ss)
Rainer Brüninghaus (syn, p)
Eberhard Weber (b)
Marilyn Mazur (per)

開演時間7時過ぎに会場に入って、1階席の後方が随分ガラガラだったのにまずは衝撃を受けた。Jan Garbarek のこの1回限りの公演は結構話題になっていたような気がするのだけれど、チケットも後から一般のチケット販売会社に回ったりしたみたいなので、気には留めたけれど行かなかった人なんていうのも多かったのだろうか。ステージの上方には白い大きな布が天幕のように張られて、それを巨大な突っ張り棒のようなものが突き上げている。照明を含めたステージセットなのだろうか。しかし結構音響面にも影響しそうでもある。

ステージ左にピアノ、その手前にシンセサイザーが置かれ、中央左寄りにベースのためのスタンドと椅子、その右にサックスのための低いマイク、そして右側に大きなパーカッションのセット。会場が暗くなり、ステージ左側から現れた4人はすうっと持ち場に位置し、Jan Garbarek はカーブドソプラノサックスを構えて最初の曲の演奏を始めた。最初の音が鳴った瞬間、やっぱりあの天幕は音響のためかと思ったほど、ここは響く会場だ。私は席の列番でいうと一桁のところにいたのだけれど、音が上から降ってくるような感じだ。ミュージシャンが前にいるのに上から音が聴こえてくるのは奇妙なものだ。それから、残響が長い。この残響はしかし、レインボースタジオ的な効果を出すというのに一役買っていて、それはそれでよかったのかもしれない。

恐らく会場の多くの人の視線を最も引き付けたのは右端の紅一点 Marilyn Mazur だっただろう。キラキラした飾りの付いた赤い衣装を身にまとい(実はそれがシースルーだというのは後で気づいた)、四方をぐるりと楽器の数々で囲まれ、その中で実によく動く。その音より見た目、つまりアクションが大きいので最初はびっくりしたけれど、すぐに彼女の演奏に魅了された。どちらかというとまったりしたメロディーとアレンジの Jan Garbarek の音楽に見事なまでに食らい付き、アクセントを付けていく。演奏している彼女自身が(他の3人とは対照的に)とても楽しそうであり、また曲間に Jan Garbarek によって紹介されるときにはチャーミングな微笑みまで見せる。その Marilyn Mazur のソロは一番最後、 "Molde Canticle" ("I Took Up The Runes") の中で披露された。自分の内に持つリズムを全身を使って表現していく。ソロ後半では声にならない声も打楽器の音も一緒になり、その途切れないアイディアとパフォーマンスは彼女がが単なるパーカッショニストとしてより音楽家として認められていることを裏付けるようだった。余談ながら、演奏が終わりステージ左側に引き上げる際、さすがにステージ左端の Rainer Brüninghaus はさっさと引き上げていたけれど、Jan Garbarek と Eberhard Weber はいつも必ず Marilyn Mazur を先に通すため待つ。背筋をピンと伸ばしてその2人の横を通って先に引き上げる Marilyn Mazur の実に格好いいこと!

Eberhard Weber のベースの音は特殊な音だ。アルバムを聴いて、理屈ではアップライトでピックアップが付いているショートスケールの5弦と分かっていてもどんなものかとても気になっていた。ステージ上の Eberhard Weber は、ベースを抱えて弾いている姿がまさにどこかの写真で見たあの Eberhard Weber だ、と思った(大袈裟に言えばベースを抱えていなければ Eberhard Weber に見えないというか)。フレットレスのエレクトリックベースを立てたようなその楽器は、見た限り一番低い弦は通常どおり E だったので、全体に普通のベースよりも軽やかに聞こえるのは高さのせいより音そのもののせいだ。ビーンとよくはじける独特の音で、よく伸びる。リズム楽器というよりメロディーを担う楽器だ。最初にソロパートがまわってきた Eberhard Weber は、ループを使って音を重ね、さらにそこに新たな音を重ね合わせていく。別に変わったことはなかったけれどこのソロは個人的にはなかなか面白く、その名人芸を堪能した。

ベースのソロの後、Jan Garbarek が笛を持ってステージ中央に戻ってきた。そのシンプルに穴が通っているだけの横笛とベースの短いデュオパートは意外な演出で、印象に残った。

ステージ左端の Rainer Brüninghaus は、化学者か宗教家みたいな風貌で、黙々とシンセサイザーに向かう。音や演奏の雰囲気はプログレか、クラシックかはたまたニューエイジかといった感じで、グルーブ感とは無縁だ。正確で緻密で透明感のある音。メインはシンセサイザーで、ピアノを弾く時は椅子をよっこいしょとピアノのほうへ向け、座りなおす。"Brother Wind March" ("Twelve Moons") の演奏からそのまま Rainer Brüninghaus のソロに入った。向かっているのはピアノのほうだ。印象的なあのメロディーを変奏曲のように盛り込み、演奏のほうは現代的なクラシックか現代音楽のようだ。それまで音楽を演奏しているとは思えないほど淡々と「仕事」をこなすそのステージングに面食らっていた私は、結構強い音でたたき出されたソロパートに逆にほっとしたりもした。

Jan Garbarek はテナーよりソプラノをかなり多く使っていた。本編ではそうだったけれど、アンコールがテナーばかりだったのは多分偶然だろう。どちらを吹いてもアルバムで聴くとおりの端正な音だ。やや上半身を左に傾けて吹くその姿も、その風貌と相まって非常に様になる演奏家だ。敢えて気になったことを挙げるとすれば、中盤ソプラノサックスの調子がちょっと悪く、小さい音で吹いたときに音がクリアでない気がした(実際、Jan Garbarek は演奏中にソプラノを持ったままステージの右側に一度引っ込み、その後その音は改善されたので気のせいではないだろう)という実に些細なことくらいで、後はあまりにも完璧だった。テナーによる見事な高音も圧巻だった。幾つかの曲には他の楽器が鳴り止み、彼が1人で吹くシーンがあったけれど、もっと長い完全なソロパートを聴きたい、と思った。

この日の公演の前にいくらか旧作を聴きなおし、そしてこの日、生で演奏されるのを聴いて、Jan Garbarek の音楽をどう表現すればよいだろうかと考えた。素朴なメロディーは独特だ。時に童謡のようにベタに聞こえなくもないけれど、あれは、彼独自のワールドミュージックとでもいうのか、少なくともノルウェーという枠でくくることは出来ない音楽だ。トラッドというのはもっとそこに生きる人々の力強さを生き生きと伝える音楽だと私は思うのでそれも当てはまらないだろう。彼の音楽は一般的にジャズにカテゴライズされるだろうけれど、Jan Garbarek の音楽は即興演奏という意味でのジャズでも、その音楽そのものをとってもジャズとはいえないだろう。この日の演奏も、Marilyn Mazur が彼女のソロの直前に手を滑らし左手のスティックを取り落としたことくらいしか「予定外の出来事」はなかった。スリリングな演奏をどこか心の隅で期待した私がそれを聴くことがなかったのは私のほうの問題、つまり期待するほうが間違っていたのかもしれない。

Arild Andersen 、Terje Rypdal 、Jon Christensen ら Jan Garbarek の同世代の大物ミュージシャン達が積極的に地元ノルウェーの若いミュージシャンと演奏をするのに対し、そういう活動もなく、国内での活動も非常に少ない Jan Garaberk は、その与えた影響に比べ、その逆(若い世代からのフィードバック)が全くなく独り孤高を守っているようですらある。"Twelve Moons" や "Visible World" のジャケット写真を見ていると、この美しくて完璧な演奏(しかもその演奏は2時間にも及んだ)は、どこか "invisible world" からの音楽で、私たちの現実的な生活には交わってこない不思議な音楽のような気がした。スタンディングオベイションで演奏を称える観客の真っ只中にいてもそう感じた。 (2004/03/01)


2004-02-11 NHK 大阪ホール

Wayne Shorter Quartet
Wayne Shorter (ts, ss)
Danilo Perez (p)
John Patitucci (b)
Brian Blade (ds)

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