lives 2005

2009 2008 2007 2006 2005 2004 2003 2002 2001 2000


2005-12-03/04 新宿PIT INN (東京)

Arve Henriksen (tp, vo, electronics)

Motif の公演と同日、入れ替えで行われたこのソロ公演、観客は少々入れ替わったようだけれど、トータルの人数はほぼ同じ。

Arve Henriksen はこの4年程で色々なグループでの演奏を7回見ているが、ソロを見るのはこの日が初めて。マイクは3本で、正面に2本、左にボーカル用のものが1本。向かって右にはミキシングボードや iBook などかなりの機材が置かれ、正面足元にはドラムパッドが置かれている。

ステージは両日ともに彼らしい尺八風トランペットのソロで始まった。超過密スケジュールで疲労はピークに達しており、開演前も疲れは隠せない状態だったが、それでも一音に集中というか瞑想的というか、演奏しているのはもちろん肉体だけれど、観客の(少なくとも私の)耳に届くのはもっとメンタルな表現だ。我を忘れそうな雰囲気が会場に満ち、やがてそれを少しずつ変化させていく。

向かって左のマイクは通常の音響、右のマイクはサンプラーに繋がっており、ループを使って自らの音を重ねる。初日はトランペットを短くパーカッシブに鳴らし、それを重ねてノイズを作り出した。現在 Supersilent のライブで彼がよくやっている演奏であり、その光景はさしずめ1人 Supersilent といった感じだ。持ってきていたトランペットは1本、普通に吹くとあの尺八のような柔らかな音色になる。途中でマウスピースを外して演奏していたが、なぜか大して音は変わらない。後でサックスのマウスピースを付けたりもする。ただ、ミュートを付けると、普通の人が普通のトランペットをオープンで吹いた時のような鋭い音になるから不思議だ。

トランペットをマイク代わりになにやらごしょごしょと喋ってはくすくす笑いを呼んだり、曲間のアナウンスのさりげないユーモアでどんどん会場は和んでくる。後ろのほうの誰かがビールの缶を押し殺すようにぷしゅっとやったのを聞き逃さず、すかさずそれを見事な口真似でやって音楽に加えたりもする。途中、横笛を取り出し、目の前のマイクをどんと足元に落とし、足踏み鳴らしながらノルウェーの民俗音楽風の曲を演奏したりと飽きさせない。

初日はかなり早い段階から観客にひゅーっと声を出させたりして音楽に引き込もうとしていたた。最初はおずおずと声を出していた観客も、彼の指示で羊や牛の声を出す頃にはすっかり乗せられてしまい、後ろのほうからは関係ない動物の鳴き声まで登場する。こういう演出は外すとしらけて大変だが、この日は気がついたらすっかり彼のペースにはまっている。

そして初日の最大の驚きは、なにやら語りながら会場後方にいた Motif のメンバーを1人ずつステージに呼び出したことだ。後で聞いた話によると、参加してもらおうというアイディアは事前に話していたらしいのだけれど、実際どのようにするかはあの場で決めたのだそうだ。一番最初に登場した Håkon Mjåset Johansen は早速カウベルで参入したが、「牛はもうおしまい!」と一蹴されまた場が和む。Arve Henriksen 足元のドラムパッドのような機械にはいろんな音源が仕込んであり、元々はトランペットの先で叩くことを考えて低くセットしてある。そこからピアノの音を出しながら Håvard Wiik を呼び出したりと演出も上手く、会場がどんどん盛り上がってくる。

どうも管の2人は呼ばれると思っていなかったのか、楽屋に楽器を取りに戻ったりしているが、その間も音楽を進行させつつ、2人のためにマイクをセッティングしたりと主役はいろいろな配慮に忙しい。最初はヨーロッパ的なフリーインプロが展開され、そこで楽曲を演奏している時とは違う各ミュージシャンの演奏を見ることができて面白かった。中でも Ole Morten Vågan がベースの弦を一時的に緩めてまた戻すといった演奏をしていたのが、普段そこまでフリーな演奏を見る機会がないだけに印象に残った。

ステージは Arve Henriksen がの生い立ち(といっても「1968年に生まれた時は裸足だった…」など)を語り始め、音楽がそれのサウンドトラックとなっている。トランペットを吹き始め、ジャズと出会う…と言ったところで演奏が見事にフォービートに切り替わり、軽快な「ジャズ」を演出する。その後は Arve Henriksen の挟むノイズと他のメンバーの非常にノルウェー的なジャズの演奏が展開される。Arve Henriksen がこういうジャズを演奏することは最近は少なく、彼らしい音楽ではないのが非常に気になったが、音楽そのものはノルウェー音楽ファンにはたまらない音だ。Arve Henriksen は手早くそれぞれのメンバーを仕切り、曲はどんどん進んでいく。

ステージに上がった Motif のメンバーの中で、Arve Henriksen を煽れそうだったのは Arve Henriksen のピアノの音源による挑発を受けて立った Håvard Wiik だけだったが、小さなトラブルが起こり不発に終わる。ピアノの横のモニターの電源が入っていなかったらしく、真横で Goran Kajfeš がトランペットを鳴らしていることもあり他の音が聞き取りづらいようで、しばらく自分の周りで解決法がないかとごそごそした後はあきらめて音楽から少々ひっこんでしまったのだ。それを Arve Henriksen が察知したのかどうかはわからないが、セッションの終盤で他のメンバーの音を抑えた後上手くピアノを引っ張り出し、互いにうつむいたまましばらくデュオで演奏した。演奏は2人ともらしさが出てなおかつ全く対等なもので、そのとても美しい音楽でセッションは終了した。

翌日は、オープニングアクトが登場する前から会場は異様なほど静まりかえっていて、客席にいてヘンな気分になるほどだ。出だしこそ前日同様の瞑想的なトランペットソロだったが、この日は前日とは全く違うステージを前もって構想してきていた。ただし観客が固唾を呑んで聴いているのをふまえて、リラックスするように何度か言い、演奏しながら「おやすみ〜」のポーズをしたりする。

両日ともかなりのボーカルのパフォーマンスもあった。トランペットをマイクに喋るものから、アルバム "Chiaroscuro" で聴かれるようなファルセット、それに低音を使ったものなど様々。元々トリオで演奏されていた "Blue Silk" などはカラオケのようにレコーディングされた音源に声やトランペットを加えていく。この "Blue Silk" は彼のソロマテリアルではかなり長い間演奏されているもので、私もとても好きな曲だ。しかし2日間の演奏で唯一納得がいかなかったのがこの曲だった。

2日目もステージに Motif のメンバーを呼ぶ場面があったが、お疲れのためホテルで休んでいたメンバーも多く、この日参加したのは Ole Morten Vågan だけ。彼を呼びだす前に、他のメンバーのお疲れを冗談にして音楽に乗せている。「ピアニストであることは大変だと思った」とか、「ウェンディーズで大きなハンバーガーを食べるのに疲れた」とか、「iPod を買いに行った」等々。何だってステージの材料になってしまう。Ole Morten Vågan とのデュオは比較的静かなもので、どちらかというと Ole Morten Vågan の演奏に Arve Henriksen が合わせていた感じだったが、優れたコンポーザーである Ole Morten Vågan の分かりやすいメロディーセンスを感じさせられるものだった。

両日ともアンコールには "Chiaroscuro" から "Ending Image"。これもラップトップから音源を再生して、それにトランペットを加えていく演奏だ。初日は何事もなく1曲終わったが、2日目は演奏しようと思ったら先にゲストで登場した Ole Morten Vågan が電源スイッチを踏んだか何かで i Book の電源が落ちるというアクシデントが発生、しかしそれさえも会場を和ませる要因にしてしまう。ところでこの曲はアルバムで聴いた時には「やさしく、しかしどこかとてもさびしげな色彩を帯びた」と書いたが、今回の公演でのこの曲はこれ以上ないほど、何か心を引き裂かれるような悲しい響きだった。演奏前にハプニングがあった2日目は、演奏のほうにも変化があった。途中でラップトップからの音源の音量を絞り始めたのだ。やがてもどかしそうに音源の音量を完全に落とし、曲の後半を独りで自由に描ききった。先の "Blue Silk" で、彼が音源に合わせて演奏する姿に物凄く違和感を感じたのは間違っていなかったようだ。彼のようなインプロヴァイザーが、次に何がでてくるか分かる音源をなぞることで本領を発揮できるとは思えない。そういう意味ではサンプラーを使って演奏を次々重ねていくスタイルの曲のほうが彼らしい。Arve Henriksen が自由に演奏を始めたその最後の演奏こそが、私の考えでは最も彼らしさが出た瞬間であり、今回の来日公演で最も印象に残る場面となった。

Arve Henriksen というミュージシャンの凄さは色々あると思うが、その1つが共演するミュージシャンもろとも演奏を一段階も二段階もハイレベルなものにしてしまうというものだ。彼は観客もステージにいるミュージシャンのことも完璧に把握しており、それを引っ張り上げることができるのだ。ソロの場合、その相手がいない。初日は観客を引っ張り込んだが、2日目は自分に難題を課すように徹底して自己の表現に集中する演奏をした。これまで Supersilent という、強力な相手がいるステージで彼を見てきたが、彼にとってソロとはどういうものかをようやく少し知ることができたように思う。

2日目の最後の最後、鳴り止まない拍手に手ぶらで戻ってきた彼は、ボーカル用のマイクを手にとり、ちょっとリバーブをかけてくれるようにとだけ頼み、どこのものでないような不思議なボーカルパフォーマンスを披露した。あえて言うならホーミーに近いだろうか、低音と高音を目まぐるしく入れ替え、後ろにうっすらとノルウェーの民俗音楽の要素を漂わせたそのパフォーマンスで観客は最後にひとしきりあっけにとられることになった。 (2005/12/26)


2005-12-03/04 新宿PIT INN (東京)

Motif

Atle Nymo (ts)
Ole Morten Vågan (b)
Håkon Mjåset Johansen (ds)
Håvard Wiik (p)
Goran Kajfeš (tp)

4月の Atomic の来日公演のすし詰め具合がまだ記憶に新しい中、Motif が同じ会場に登場することになった。どれくらい埋まるのだろうと思っていたのだけれど、テーブルを出し、椅子をゆったりめに並べてちょうど一杯、後方に立ち見が少々で2公演ともに100人位だっただろうか、これを満員と言ってはいけないがまずまずの入りだ。

ステージ左にはピアノの Håvard Wiik、右端にドラムの Håkon Mjåset Johansen、中央奥に Ole Morten Vågan、フロントは左にテナーサックスの Atle Nymo、右にトランペットの Goran Kajfeš。

メンバーの中で唯一初めて見る Goran Kajfeš、まずその“ニューウェーブな”髪型で会場の注目を集めただろうと思われるが、演奏のほうはさすがというべきか、2枚のリーダー作が高い評価を得ているその貫禄を感じさせられる吹きっぷりだった。メンバーはGoran Kajfešも含め全員譜面を置いている。初日、ステージ左側から見ている時にはあまり彼が楽譜に目をやらないので驚いたのだけれど、翌日は右側から見ていて、顔に半分ほどかかったその髪の、隠れていないほうの左目だけでくっと最小限の時間だけ楽譜を見ていることがわかった。他は彼の地力での演奏だ。

スペシャルゲスト扱いの Goran Kajfeš は丁寧に紹介されていたが、もう1人、Håvard Wiik の紹介のされ方で彼の微妙な立場がよく分かる。つまり、誰かの代役ではないけれど、彼がこの後もずっと Motif と共に活動するとは限らない、ということだ。Atomic との類似性はさほどでもない(と私は考えている) Motif だが、Håvard Wiik が加わることでことさらに Atomic と比較されることになるだろう。しかし彼の演奏は Atomic の時とは全く異なる、もっと緩やかなものだ。あまり緊張感も感じさせず、弾いていない時は相変わらず両肘をでーんとピアノの上に乗っけて他のメンバーや観客を見物しているという緩さだが、演奏になるとつるつるっとピアノから一番おいしいところだけをつまみ出すようにフレーズを弾く。かなり長いソロパートも多い。新作 "Expansion" まで参加していた David Thor Jonsson とは似て非なるスタイルで、楽曲に彼らしい色合いを加えている。

テナーの Atle Nymo は Motif の中では最もオーソドックスなスタイルのプレイヤーだろう。そのオーソドックスさが少々地味な印象を与える感じもするのだけれど、ステージでは楽器がとてもよく鳴っているのが印象に残った。初日は、そのグルーヴが他のメンバーに比べてほんの少しだけ後ろにきているような気がしたが、2日目は全くそれは感じなかった。

ステージ右の Håkon Mjåset Johansen は、瞬間的に繰り出される変化に富んだパターンと演奏している間のくるくる変わる表情とで見ていて本当に楽しくなるドラマーだ。次にどう出るか全く分からないスリルと爆発的な瞬発力を生むのが、いわゆるレギュラーグリップ(左手がお箸のようにスティックを握るスタイル)だというのがいつみても不思議な気がする(ノルウェー人ドラマーはたくさん見ているが、このグリップで叩くドラマーは非常に珍しい)。初日公演の後の食事の際に興味を持って持ち帰った割り箸を早速2日のステージで使ってみていたが、軽くて難しかったと言いつつ音のほうは見事に音楽にはまり、彼が様々なアイディアを取り入れていく様子はとても興味深かった。2回の公演で最も異なった演奏をしたのは彼であり、その差で2日目のほうが圧倒的に締まった演奏となった。

そしてステージ奥の大柄な Ole Morten Vågan。曲間のMCはリーダーである彼が全て取る。簡潔で、そのほのぼのしたキャラクターを感じさせる。そして音楽のほうも、彼による楽曲と音がこのグループの核になっている。弦の弾ける音を多く含んだ彼の音は既に彼の固有の音になっており、グループのダイナミックな演奏を支えている。

両日ともセットはどっしりしたビートを持つ "Kauto" から始まり "Rock Solid" で終わり、アンコールにバラード "Hum" を持ってくるという構成の1時間半。この2日間だけの代役をたった1回のリハーサルで合わせてきた Goran Kajfeš がいるので両日のセットは同じだろうとふんでいたのに、実際は真ん中あたりの数曲が入れ替えられてきた。アルバムではアップテンポな曲とバラードが交互に並べられている。彼らの一番のよさが出るのはやはりアップテンポな曲だと思うこともあり、ややバラードが多すぎる印象を受けていた。しかし実際のステージの構成はバランスよく組まれ、最初から最後まで全くだれずに1つの流れになっていた。

Motif の演奏は思いのほか自由度が高い。2日の公演で相当に演奏が異なったことでもそれはよく分かる。演奏を始めてテーマに入るくらいまではあまり変わらないようだけれど、ソロやアドリブのパートは演奏毎にメンバーそれぞれの即興で変化が与えられ、たまにメンバーの1人が予想外の演奏を展開したのか、他のメンバーが表情を変える場面も見られた。しかしそれを全体の流れにうまくまとめられる力量を全てのメンバーが備えていて、演奏は安定している。そのフリーなパートからテーマのメロディーが流れてきた時にはっとさせられる思いがしたが、それは Ole Morten Vågan の書く楽曲のクオリティの高さから来るものだろう。

アルバム同様、ライブでもハイライトはやはり新作 "Expansion" に収録されている "Rock Solid" だった。名曲、と言ってもいいと思う。彼ららしいダイナミックな楽曲と演奏が楽しめる曲だ。その演奏が2回の演奏でこんなに異なりうるのかというのは驚きだった。全員が楽曲をしっかり自分のものにし、その上で個々に自由にアレンジする、例えばこの公演では Håkon Mjåset Johansen が全く違う演奏を持ち込んだため楽曲は2回目にも全くフレッシュに響いた。

両日ともに楽しんで聴ける演奏で、個人的にはGoran Kajfeš の演奏を聴けたことも大きかった。次回は是非 Mathias Eick のいる Motif を、そして Goran Kajfeš は自身のグループでの演奏を見てみたい。 (2005/12/26)


2005-04-17 武蔵野市民文化会館 (東京)

Frode Haltli (accor)
setlist:
E.Grieg, arr. F.Haltli "Lyriske Stykker"
Y.Takahashi "Like a WaterBuffalo"
Norwegian trad., arr. F.Haltli "Ned i Vester"
Swedish trad., arr. F.Haltli "Höök-Olles Storpolska"
---
A. Piazzolla, arr. R.Galliano "Flora's Game"
A. Piazzolla, arr. R.Galliano "Adios Nonino"
F. de Caro, arr. A.Piazzolla "Flores Negras"
P.Frosini "Love Smiles"
F.Haltli, improvisations

このソロ公演は1年以上も前に決まっており、早々にソールドアウトになった。会場は三鷹市の住宅街にあり、キャパシティは470席余、ざっと見たところ8割方埋まっていたので350人以上入ったということになる(同じ週の Atomic の1.8倍にあたる数字!)。2年前のトリオ POING の来日公演の時同様、文化会館にいつもコンサートを見に来るような、普通の一般市民(年齢層は結構高め)の方々がほとんど。

現代音楽寄りのコンサートでは予め曲目が決められていることが多いが、この日に関しては相当に事前のディスカッションがあったそうだ。主催の財団法人武蔵野文化事業団の希望を優先した部分が多く、本人の希望でない部分も多かったようだ。

最初はグリーグの小品を7曲。決してポップではないが分かりやすい曲で、非常にバラエティーに富んだ選曲で飽きさせない。Frode Haltli はこういう小品は好きではないとはっきり言っていたが、その理由は次の曲でよく分かった。高橋悠治の「水牛のように」はアコーディオンのために書かれた曲。Frode Haltli は以前この曲を演奏したことがあり、日本での公演ということで日本の曲を取り入れたという。ノルウェー人である彼にはこの曲は「とても日本的」だそうだが、楽曲を深く掘り下げるタイプの演奏家である彼にはこういう曲が似合っている。グリーグの小品では深く入り込む時間もスペースもないのだ。ステージはノルウェーとスウェーデンのトラッドを2曲続けて第一部が終了。

第2部は全てタンゴ。楽器がアコーディオンだから1曲くらいはアクセントにいいだろうが、さすがに1セット全部となるとくどくなる。もちろん、主催者側の希望であることは言うまでもない。最後の「即興演奏」も実際は「タンゴをべースにした即興演奏」で、そこに登場したのがまた異常にベタな「ラ・クンパルシータ」とかなので駄目押しをした感じになった。ただ、観客には受けているから、やはり主催者の希望はこの日の観客の聴きたいものと重なっていたということになる。印象に残ったのはその即興演奏の冒頭、アコーディオンの音を出さずに蛇腹を動かし、すうーっと風の音を出し、右手でぽんぽんとその蛇腹を叩いて見せたところだ。インプロだと思って見ていたら随分前衛的な演奏だが、それを難解さを見せず、ちょっと面白い趣向として見せてしまうところが上手い演出だった。

個人的に疑問を感じたのはプログラムの部分のみで、Frode Haltli の演奏は十分楽しめるものだった。彼の膝の上のアコーディオンはまるで地球儀のように、フットワーク良く世界の音楽を紡ぎだしていく。前回の POING のコンサート同様、彼の手にかかると難しい楽曲がしっかり消化されて純粋に音楽として楽しめるような気がする。ECM New Series だからといって難しく考えることはない。恐らくほとんどこのノルウェー人ミュージシャンのことなんて何も知らなかったであろう観客はコンサート後CD販売コーナーを大いに賑わし、POING の CD はあっという間にソールドアウト、ECM の2枚、自身の "Looking on Darkness" や Trygve Seim "Sangam" もどんどん売れていく。No Spaghetti Edition の CD を手に取る人を見ていると、家に帰ってその CD を聴いてどんな顔をするんだろう、とちょっと楽しい気分になった。

尚、この日の演奏は NHK により録画されており、いずれテレビで放映されるとのこと。(2005/05/08)


2005-04-12 新宿PIT INN (東京)

Atomic

Magnus Broo (tp)
Fredik Ljungkvist (ts, cl)
Håvard Wiik (p)
Ingebrigt Håker Flaten (b)
Paal Nilssen-Love (ds)
set list:
1. Geometrical Restlessness
2. St. Lureplass
3. Two Boxes Left
4. Kerosene
5. Closing Stages
---
6. Rome
7. ABC 101b
8. Sooner Or Later
9. Re-Lee
10. Boom Boom
---
11. Konrads Hopp Om Livet

地下にある会場の入り口前は、平日火曜日の夜だというのに異様な熱気に満ちていた。開場後、あっという間に会場は埋まり、前3分の2ほどのシート約100人、スタンディングで後ろ3分の1ほどの場所に同じくらいの人数がいる。色々な事前の情報から相当入るだとうとは思っていたけれど、こんなに入るとは正直思わなかった。開演10分前には、皆さん少しずつ前に詰めて下さいというアナウンスがされ、椅子席の人はがたがたと10センチ程前進し、スタンディングの場所をわずかに広げる。後で聞いた話によると200人以上入ったそうだ。

異様な雰囲気は会場だけではなかった。定刻の8時になっても始まる気配がない。普段の彼らは日本人も真っ青なほど時間には正確だ。こんなにたくさんのファンがいまや遅しと固唾を飲んで待っているのに始まらないのはなぜだろう?と、バックステージの扉が開いて Paal Nilssen-Love が姿を現し、会場の外へ出て行き、しばらくしてまた戻ってきてバックステージに入っていく。それを含めて数回扉が開いた中の雰囲気がなんとなくおかしい。メンバーが皆立ち上がってなにやら話し合っているのだ。

結局15分ほど遅れてメンバーが登場。左にピアノの Håvard Wiik、中央奥にベースの Ingebrigt Håker Flaten 、右がドラムの Paal Nilssen-Love、ステージ前方にスウェーデン人2人、向かって左がテナーサックス/クラリネットの Fredrik Ljungkvist、右がトランペットの Magnus Broo。Håvard Wiik が指をパチパチ鳴らしながら "... en, to, tre" とノルウェー語でカウントし、演奏がスタートした。

Atomic が200人余りの観客をステージに釘付けにするのには 0.3 秒くらいしかかからなかった。1曲目、"Geometrical Restlessness" の最初、5人のメンバーが1つの短くて鋭い音を叩きつけた瞬間、私は椅子から数センチ体が飛び上がるような感覚を覚えた。何なんだこのグループのこの演奏の表現のしようもない凄さは、というのが最初の、そして最終的な印象だ。

演奏面でアルバムと最も違った印象を与えたのは恐らく Magnus Broo だろう。メンバー中最も物静かで小さい声で話す彼の出す音は、いかにもトランペットらしいトランペットとでも言おうか、高音でバリバリと鮮やかにフレーズを吹き、その音そのものも大変な音量だ。華やかというよりストイックな印象。この日は前日にはなかったポケットトランペットもかなりの曲で使用し、変化をつけていた。

MC を全て担当する Fredrik Ljungkvist は、実に美しい音色の持ち主で、Atomic というより彼自身のグループやトリオ編成のユニット LSB で聴かせるように、どこまでアグレッシブになろうと高速になろうと乱れない見事なブロウを披露する。セット全体の中にクラリネットの柔らかい音色を上手く配置している。

ピアノの Håvard Wiik は、4日前に見た Tord Gustavsen と同じ楽器から(その間にチューニングがされているのはかなり確かだとはいえ)彼らしい整った美しいトーンの音を引き出している。感情を過多に込めるでもなく、のめり込むでもなく、時折ウヒヒと妙な笑みを浮かべながらピアノからちょいちょいと音をつまみ出す。彼の演奏は3度目にして初めて手、特に右手が見える位置で見ることになったが、彼独特の息を飲むような長いフレーズは実際目で追うと改めて凄いものだと思わせられる。

中央奥でちょっと場所的にはちょっと引っ込んでしまっている Ingebrigt Håker Flaten はやはりこのバンドの核だ。このグループの音楽がもつ躍動感(「とんでもない躍動感」とでもとしたほうがリアルだ)は彼の作り出すラインによるものだ。小柄で童顔な彼だけれど、頭のてっぺんから真っ赤にしてベースにかぶりつき、時には声を出しながら(唸るというより歌っているに近い)、豪快に音楽を進めていく。

そして右端の Paal Nilssen-Love。この日も彼がお目当て、または彼の演奏に度肝を抜かれた人はとても多かったのではないかと思う。ただ、彼の爆発的な演奏のみを目的とするなら The Thing のほうが向いているだろう。しかし Atomic で彼がやっていることは実際途方もないことだ。あれだけ書かれアレンジされた曲をあれほどのテンションで演奏し、ほとんどレッドゾーンに振り切れるようなグルーヴを持ち込めるのは彼だけかもしれない。しかも一瞬のスキも逃さず、木片、タオル、小さいシンバル、チェーンなどをひっつかみ、次々に曲に新しい感覚を持ち込むその早業は全く目を離せない。

冒頭の鋭い音の後、美しいノスタルジックなメロディーが続く "Geometrical Restlessness" を筆頭に、ステージは(予告どおり)新曲ばかり披露される。前日のステージを見ている人でなければ、全く聞いたことがない曲ばかりでここまで観客を惹きつけてしまうその説得力にただただ圧倒される。

新しい曲はこれまでの曲にも増して凝ったアレンジの曲が多い。3曲めで、Ingebrigt Håker Flaten が恐ろしい程のアグレッシブなアルコ弾きソロを見せる場面があった。楽器や弓が壊れてしまうのではと思うほどの迫力で彼が楽器を掻きむしる中、他の4人は Fredrik Ljungkvist の指示で短いフレーズを鋭角的に切り込ませていく。その指示というのが面白い。Fredrik Ljungkvist は楽器を左手で持ったまま、右手で「短く強く1音」「小さく1音」「長い1音」「ジグザグに4音」のいずれかの指示を出す。会場でそれを見ていないのは Ingebrigt Håker Flaten だけで、観客も十分次に何が起こるのか予見できる。その「来るぞ!」というスリルが満ちている中ズバッと剛速球で決めてくるそのキマりかたがたまらない。

Atomic の演奏には、確かにソロパートなどもある。それより印象に残ったのはデュオパートが比較的多く作られているところで、書かれた音楽を演奏するこのグループに、完全な即興演奏の部分を持たせるという意味で非常に面白いと思った。アルバムの印象では自分のスペースを確保できているのは Håvard Wiik だけで、後のメンバーはどうも窮屈そうだという印象がぬぐえなかったが、ライブは空間が何倍も与えられたような演奏で、雄弁なそれぞれのメンバーが完全に持ち味を発揮できている。しかし実際もっと凄いのは、この凄腕のミュージシャン達が物凄いテンションでもって1つの楽曲に取り組んでいるという事実だ。

間にフレンドリーな MC も度々挟み(このあたりの持って行き方がとても自然で上手かった)、5曲演奏して休憩を挟む。20分、というアナウンスだったのに、実際は20分なかっただろう。あっという間にメンバーがステージに戻ってきてセカンドセットが始まる。

アルバムでもそうだけれど、Atomic のマテリアルの大半は Fredrik Ljungkvist によるものだ。この日の11曲中9曲が新曲だけれど、新曲には2種類ある。つまり既にツアーで演奏しこなれているものもあるが、一方例えばセカンドセットの1曲めの "Rome" のように、書かれてからまだ数ヶ月しか経っていないものもある。本当の新曲は彼らはまだ譜面を見て演奏している。ドラマーの Paal Nilssen-Love も譜面を見ている。しかし演奏はまだ3ヶ月弱しか経っていないマテリアルとは思えない完成度だ。

セカンドセットが始まった時に変化があった。リズムセクションの2人が、明らかにファーストセットより凄い演奏を始めたことだ。ギアが2つくらい上がったような、そんな感じだった。

私はひたすら音楽に体をゆだね、「夢中になる」のと「ぽかんとして見ている」のちょうど入り混じった感じだっただろうと思う。思う、とするのは、実は後半の記憶があまりないからだ。隣に座っていた人によると、私はセカンドセットの途中で写真を撮る手が完全に止まっていたそうだ。

しかしはっと我に返った瞬間は覚えている。彼らがやっと観客の知っている曲、アルバム "Boom Boom" から "Re-Lee" を演奏し始めた時だ。心の中で意味もなくああやばい、終わりに差し掛かっている、などと焦りだしたりした。"Re-Lee" は普通に演奏したら普通のジャズだ。しかし長いフレーズのテーマの後、ステージはとんでもないことになる。Håvard Wiik → Fredrik Ljungvist → Magnus Broo → とソロが回りだす。最初は8小節ずつ、次は4小節ずつでしばらく回し、テンションが上がるにつれ1人あたりの長さがどんどん短くなり、めまぐるしくフレーズがたらいまわしにされる。しかも後ろのビートを刻んでいる2人の演奏も大変だ。そうやってビートを刻んでいるのを何十分と見ていても飽きないだろうなぁというような演奏なのに、フロントの3人はこれでもかとソロを回す。目も耳も2つずつしかないのに一体どこを見て何を聴けばいいんだろう?これ以上不可能なところまでテンションが上がりきったところでテーマに戻る鮮やかなジェットコースター的展開で曲はばっちりキマり、休む間もなく "Boom Boom" へ。

"Boom Boom" は、アルバムをはるかにしのぐ演奏だった。アレンジはかなり手を加えられビートはかなり複雑になり、Håvard Wiik が加える和音が印象に残る。私は指針がレッドゾーンに振り切れたまま戻らなくなってしまい、なんだかもう訳が分からないままステージは終了してしまった。

歓声と拍手で再び戻ってきた彼らは、一瞬第1期 Atomic を思わせるような明るい、比較的ストレートな曲をリラックスして楽しそうに演奏して去っていった。

-----

演奏が終わった後、私が最初に言葉を交わしたのは Paal Nilssen-Love で、その後、他の人と立ち話をしていた私のところへいきなりやってきたのが Ingebrigt Håker Flaten だ。彼は目を輝かせ、観客が本当に熱心に音楽を聴いてくれているのが伝わってきたと興奮気味に一気に語った。彼にしては珍しいテンションの高さだ。一息ついた後、いつもの落ち着いた調子を取り戻し、この日の最も「とんでもないこと」について話し出した。開演10分前に Paal が急に体調を崩して…もう顔なんか真っ青でさ、と。まさか?と近くで会話を聞いていた Paal を見るとなんだか照れたような顔をするので冗談じゃないらしい。メンバーの話を合わせると食あたりかなにかだったようで、とにかく演奏ができる状態ではなかったそうだ。10分前といえばちょうど会場中の人が10センチずつ前に詰めていた頃だ。キャンセルも考えたそうだが、こんなにギュウギュウに埋まってしまった後ではそれもできない。それが開演が15分遅れた理由だった。とにかく Paal Nilssen-Love はなんとかステージに上がり、上がったらもう後は全く問題なくステージをこなした。彼をステージにひっぱり上げたのは観客で、彼はプロのミュージシャンとしてその期待に応えたわけだが、冷静に考えるとこの日のライブはよりいっそうとんでもないものに思えてくる。

Magnus Broo は、前日ステージでは使っていなかったポケットトランペットについて話をしてくれた。開演1時間前に外出した彼は近くの楽器屋でそのポケットトランペットを買ったのだという。全く知られていない日本のメーカーのものだそうで、いきなりステージに持って上がって演奏に使ったというから驚きだ。

他のメンバーが楽器の片付けに忙しい中、何もしなくていい Håvarde Wiik は一人椅子に座りシャンペンを片手に他のメンバーの作業を見物している。ピアニストは楽だよ、せいぜい楽譜くらいしか片付けるものはないしね、とステージ上と同じようにウヒヒと笑う彼だけれど、その裏には、ピアニストはどんな楽器にあたるか分からないという大変さがある。ただ彼の場合、それを全く感じさせない。

Fredrik Ljungkvist は、観客がソロが終わっても無理矢理拍手をせず、音楽に聞き入ってくれたのがとても印象に残ったと言う。そして日本の観客のその反応は彼にとって全く新しい経験だったと続けた。

-----

凄いライブを見てしまった後の独特の感覚がある。体の中で何かが変質してしまったような、ある種のショック状態だ。彼らについてはよく知っているつもりだった。ノルウェー人3人についてはそれぞれ何度も演奏を見ている。しかし全くそれは甘かった。1つのグループとしてのライブパフォーマンスがここまでになりうるということを、まだどう捉えてよいか分からない。 (2005/05/08)


2005-04-11 愛知万博 EXPO ドーム

ノルウェー・ナショナルデー

Tord Gustavsen Trio
Tord Gustavsen (p), Harald Johnsen (b), Jarle Vespestad (ds)

昼の12時半を大分回ってから会場に着いたら、外までピアノの音が聴こえてきた。このピアノの音はいい!それが最初に思ったことだ(ちなみにピアノは小ぶりのスタインウェイだった)。ドームといいつつすり鉢を縦半分に切ったみたいな会場についているのは屋根のみ、横は柱のみで風がびゅうびゅう入る。音響は凄まじいリバーブがかかる、レインボースタジオも真っ青な状態。リバーブはかかりすぎだが、Tord Gustavsen にはもってこいだったように思う。3日前のピットインでの演奏と打って変わってアルバムで聴かれるような、リリカルな演奏。予想外にうっとりして聞き惚れてしまった。


Ole Edvard Antonsen
Ole Edvard Antonsen (tp, flh), ??? (syn, p)

ノルウェーの "King Of Trumpet"。基本的にクラシック畑のプレイヤーだが、音楽的にはかなり幅広い守備範囲の人だ。2003年の来日公演を見ているが、その時の簡易バージョンのような印象を受けた。ステージに上がっているのは彼と、彼よりかなり若いシンセサイザープレイヤー。何人かのミュージシャンにそのシンセプレイヤーの名前を聞いてみたのだけれど、誰も知らず。イベント会場での演奏というのを踏まえてか、ちょっと打ち込みっぽいビートを取り入れたり、「フニクリ・フニクラ」をやってみたりとバラエティーに富んでいたが、どうもチープな印象はぬぐえず。個人的にはこれほどの演奏家なのでもうちょっと普通の演出のほうが良かった気がする。


Thomas Strønen & 巻上公一 (with Stian Carstensen)
Thomas Strønen (per, electronics), 巻上公一 (voice, theremin), Stian Carstensen (kaval, accor, vo)

前日同様の(言ってみればマニアックな)セットが3000人も入る半屋外の会場に用意されており、明らかに場違いで不安がよぎる。ステージ上の演奏は昨日のセッションを踏まえたもので、結構似た発想のものだった。この2人が演奏を始めた頃から観客席に子供の大集団が入り始め、大騒ぎになる。音楽を誰も聴いていないのかと思いきや、巻上公一のパフォーマンスは子供たちにウケている。素直に受けている様子を見るのはなかなか面白い。ちなみに子供の笑い声はステージまで聞こえたそうだ。

2人による短いセッションの後、「ノルウェーと魚」のお絵かきコンテストの表彰式が始まり、ノルウェー皇太子まで登場する。ステージの進行役は巻上公一。シラケた子供達と、苦笑しつつ子供達からまともな言葉を引き出そうとするミュージシャン。明らかにミュージシャンに対する敬意が足りないこの催し物には大いに疑問を感じた。尚、この日のステージ全体やその他細かいことについても疑問を感じることが多かったことを付け加えておく。

お絵かきコンテスト表彰式の前後1曲ずつには Stian Carstensen も参加。先の1曲には kaval (横笛) 、後の1曲にはアコーディオンを使用。Stian Carstensen と巻上公一の取り合わせは Thomas Strønen と巻上公一とのそれよりはるかに分かりやすい。外向けに発散させられるそのパフォーマンスは一瞬ながらなかなか面白かった。ただふと、Stian Carstensen と巻上公一を合わせるならそこへ Thomas Strønen を合わせるのはミスマッチだったように思われた。


Silje Nergaard
Silje Nergaard (vo), Tord Gustavsen (p), Harald Johnsen (b), Jarle Vespestad (ds), Bjørn Charles Dreyer (g)

Tord Gustavsen Trio にギタリスト Bjørn Charles Dreyer を加えたカルテットを従えた編成。バックのミュージシャン達がみなスーツを着ている中、カジュアルながらスターらしい格好で歌う Silje Nergaard は、大きなステージにも慣れており、ヒットソングを連ねたセットも一般の万博を見に来た人にもとっつきやすく、この日のステージに一番相応しいアーティストだったと思う。Tord Gustavsen は左手でピアノ、右手でエレピを同時に弾いたりとなかなか見せた。


Farmers Market
Stian Carstensen (accor, g, etc.), Nils-Olav Johansen (g, vo), Jarle Vespestad (ds), Trifon Trifonov (sax), Finn Guttormsen (b)

Farmers Market は観客の反応があってこそのグループだと思う。そういう意味ではステージが遠い(ステージが高いばかりではなく、ステージから数メートル離れたところにチェーンが張られており、途方もなく演奏者までが遠い)この日のステージは向いていない。登場するなり Stian Carstensen が観客を煽っている。想像以上に観客の反応は良かったが、それでもクラブでの演奏のようにはいかない。そういうわけでかなり淡々と奇数拍子の曲を演奏することに。観客の中にやたら口笛を吹く人がいたが、それを聞いた Stian Carstensen が口笛のみでメンバー紹介を行った。個人的にこの日の Farmers Market のステージで一番面白かったのがそのシーンだった。このあたりまでくると寒さその他の理由で詳しいことは記憶になし。演奏は5分ほど長引いて終了。


Atomic
Magnus Broo (tp), Fredrik Ljungkvist (sax, cl), Håvard Wiik (p), Ingebrigt Håker Flaten (b), Paal Nilssen-Love (ds)

ステージ替えにメンバー自らが出てきてセッティングを行っている。Håvard Wiik がちょろちょろっと試し弾きしたピアノの音があまりに美しくてびっくり。ステージ中央奥の Paal Nilssen-Love だけが納得できない顔でセットを触っている。カン!と叩いたらカ〜〜ンッッと響くこの音響は手数が多い彼にはあまりに不向きで笑えるほどだ。とはいえ音響はどうしようもなく、ま、しょうがないやという表情で一端引っ込み、改めてステージが始まる。
時間はもう夜の7時、雨も降り出し実質的に屋外の会場は4月とは思えないほど冷え込み、観客も150人くらいだっただろうか。私は Atomic の日本での初めてのライブを見るだけのために愛知まで足を運んだと言っても過言ではないが、その価値は十分にあった。アルバムとはもはや比較すら出来ないレベルのその演奏はショッキングなほどだった。
セットの最後は "Kerosene" 。すっとぼけたテーマで始まり、格好いい中間部、トランペットソロ、そしてトランペットとテナーサックスのデュオですっとぼけたテーマを再び奏でて終わるこの曲が終わって、観客の間に、あれ?もう終わり?という空気が一瞬流れ、その後少ない観客からのもう1曲!の拍手が終わらない。時間は終了の5分前だ。もう1曲やるには短すぎる。思ったより長く演奏してしまい最後の1曲を削った可能性もある。会場は事務的に事を進める人々によってあっけなく閉鎖され、翌日こそはおなかいっぱい堪能したいと思わせて Atomic の初公演は終わってしまった。 (2005/05/08)


2005-04-10 新宿 PIT INN (東京) > photo

Thomas Strønen aka Pohlitz (per, electronics) with 巻上公一 (voice)

このライブの前日に、その日来日した Thomas Strønen と会った時、「マキガミってのは彼のファミリーネームだよね?」と訊かれて驚いた。会ったことはなく、初めて顔を会わせるのは当日、CD しか聴いたことがないそうで、「僕はソロ (Pohlitz) ではとても音数が少ないんだど、彼(巻上公一)の音楽にはたくさんの情報が含まれてるよね、どうしようかなぁ」などと言う。

Thomas Strønen と言っても、Food のドラマーというのが正確なのだろうか、果たして彼がどれくらい認識されているかわからないが、案の定会場には空席が目立つ。ステージには向かって左にテルミンがセットされ、右側の床にはずらっとベルやドラなど主として金属系の小物が並べられ、その横にエレクトロニクスのセットがこれも床に置かれている。

ステージに登場した2人は、まずそろりと手を伸ばすかのようにセッションを始めた。一旦音が途切れるまでの恐らく10分強位の最初の演奏は明らかに模索に終始した。模索が終了した後は面白いように音楽が進み始める。

巻上公一はテルミンと自らの声による、時にユーモラスですらあるパフォーマンスを見せる。彼のパフォーマンスは Thomas Strønen にどう聞こえただろうか。発せられる音も表情や身振りもかなり「動」の要素が多い。Thomas Strønen が「情報が多い」と言ったのはこのあたりだろう。

Thomas Strønen はうつむいてベルや打楽器をつつく一方、ステージ右側、彼の左側にセットされたエレクトロニクスをいじる時間が多くなってくる。ドラムパッドのようなものをつついてスローなメロディーを作り出し、それをリピートさせる。そして空いた両手で次々に打楽器やエレクトロニクスで音を重ねて新しいフレーズを作り出してくる。

ステージに変化が出てきたのは、一旦止めてあった先にエレクトロニクスで作ったスローなメロディーが再度再生された時だった。Thomas Strønen はそれをほぼ倍のスピードで再生し、それは鮮やかにグルーヴを生み出し始めた。彼独特のテクノを通過したあのビートだ。そういう仕掛けになっていたのかと思っていたら、今度はいつの間にか録音されていた巻上公一の声がリピートされたりする。そうしている間にも手を休めず打楽器をつついている。一体 Thomas Strønen の頭の中はどうなっているんだろう?

Thomas Strønen の叩くドラに巻上公一が応じる小さな会話のような場面も見られたが、全体としてはそれぞれの領域を尊重しつつ、幾らか歩み寄りつつのセッションだったのではないかと思う。後でThomas Strønen とゆっくり話をした時に、巻上公一について、彼は共演相手に合わせたりせず、自分のパフォーマンスをするのがいいね、そこがとても気に入った、と語っていた。彼は巻上公一とのこのセッションがとても気に入ったようで、次はノルウェーで共演できればと言っていた。この1時間の演奏をどう捉えるかはかなり聴き手によるところが多いだろう。とても多面的な解釈ができるセッションで、Thomas Strønen の製作中のソロ作を聴く時に、初めてこのセッションの意味が分かるかもしれない。 (2005/05/08)


2005-04-08 六本木 SUPERDELUXE (東京)

Subatomic Supertrio

八木美知依 (筝)
Ingebrigt Håker Flaten (b)
Paal Nilssen-Love (ds)

新宿PIT INN での Tord Gustavsen Trio のライブの後、夜11時前に六本木に移動したらちょうど八木美知依のソロの演奏中。筝のライブ演奏は初めて聴くという意味では私はすぐそこで熱心に見ている Tord Gustavsen や Jarle Vespestad らと変わらない。サラウンドで筝の音を飛ばすという趣向だったようだけれど、私の見ていたのが端のほうだったからか、その効果はあまり分からずじまい。それでも、空間に筝の音が満ちているのはわかる。演奏は比較的穏やか。

11時を大分回ってからステージのセットが少し変えられ、3人のミュージシャンが登場する。個人的には Paal Nilssen-Love がようやく日本で初めての演奏をする、ということに感激にも似た思いがした(※ Ingebrigt Håker Flaten は3年前に Bugge Wesseltoft と来日していて、思えばその時持って来ていたのが Atomic のファーストアルバムだった)。

最初からいきなり、いかにも Paal Nilssen-Love らしい軽やかながら大変な音数の音が放出される。ステージ中央に陣取った彼の椅子はいつものように異常に高く、スネアのヘッドとほぼ同じ高さ。小さいシンバルなどを初めとした小物をとっかえひっかえそのスネアやタムの上に引っ張り出して、次から次へと新しい音を作り出してくる。私が Paal Nilssen-Love を見るのはこれが6セット目になるが、特に変わったことはなかった。ただ、共演相手の1人が全く手の内が分からない相手というシチュエーションは初めてだ。

ステージ右の Ingebrigt Håker Flaten は足元にエフェクターか何かを置いているらしく、いつもと異なり頻繁に手を伸ばす。途中ではずっとそのノブに手を伸ばしっぱなしになってしまい、妙に中途半端な格好でベースにかぶりつきっぱなしになってしまう一幕も。Paal Nilssen-Love に負けず劣らず、こちらも最初は細かい、けれど迫力のある低音で応じている。

ステージ左側に段違いに2台の筝がセットされている。八木美知依は最初は普通に指につけた爪(正しい呼び方があるかもしれないが)で弾いている。先のソロとは打って変わって前衛的な演奏だ。

3人で、というより正確には八木美知依とノルウェー人2人はもちろん初めての顔合わせで、当日のサウンドチェックで音を出した程度しか事前の打ち合わせがなかったそうだ。最初のどれくらいの時間がお互いの手の内を知るためのものだったかは分からない。演奏はあっというまにつじつまが合い、ふと気づくと3人ともコントラバスの弓を握っている。最初は比較的パーカッシブな演奏から入った3人が同じようにそれぞれの楽器を擦っている。

3人ともが音を出す場面がほとんどだが、途中ドラムソロなども挟まれ、かなりおいしいライブとなった。恐らくソロとしては比較的アグレッシブな方ではないかと思われる、かなりメッタ打ち系のソロには驚いた。そうかと思えば八木美知依まで筝を叩き始めるしで大変な演奏だ。

それにしても終始ハードコアな演奏だ。グルーヴを持ち込むことは簡単だったと思うが、3人ともがそれを拒否して敢えて挑戦的な手段を選んだように思える。音が鳴っている時間よりもむしろ音が鳴っていないところのほうの緊張感を感じる。つまり、長い演奏が静かになってきた時、そのまま演奏をひとまず終わらせるのか、引っ張るところまで引っ張ってそれを破るのか、そのあたりの駆け引きがピリピリと伝わってくる。

時間の感覚が全くなくなり、その瞬間に出ている音のみに集中していたが、それでも日付が変わるくらいの時間帯だったからだろう、お客さんが少しずつ減ってきて、それだけが時間を感じさせる要素だったように記憶している。

演奏後の八木美知依の発言が面白かった。普通ドラマーとベーシストだと、2つか、せいぜい3つくらいのパターンしかなく、演奏を始めてすぐにそのパターンが読めるのだそうだ。ところがこの日共演した2人のノルウェー人ときたら次から次へと際限なくアイディアが出てくる、というのだ。大変勉強させて頂きました、という八木美知依のコメントはもちろん謙遜だろうが、ミュージシャンから見た Ingebrigt Håker Flaten & Paal Nilssen-Love の凄さというのはそういうことなのか、と興味深く受け止めた。

演奏後の発言をもう1つ。熱心にこのトリオの演奏を見ていた Jarle Vespestad に、「Jarle だったら八木さんともうちょっと違った演奏ができるんじゃない?」とけしかけてみた。彼は「うん、彼ら(Ingebrigt Håker Flaten & Paal Nilssen-Love) は手数が多いけど、僕だったらもっと音数を減らしてやってみるね」と、結構興味がありそうだった。彼だったらトリオの前の八木美知依のソロの演奏のように、静かな演奏を活かしてセッションが出来るだろうし、それも面白そうだ。

なかなかフレンドリーな観客に囲まれたとても興味深いセッションだった。演奏が終わった後に思ったのは、この3人には共演する理由がちゃんとあるということだ。即興演奏の面白さが堪能でき、書かれた曲を演奏する Atomic とは相当に異なる Ingebrigt Håker Flaten と Paal Nilssen-Love の別のサイドを見るこのライブがセッティングされて本当によかったと思う。(2005/05/08)


2005-04-08 新宿 PIT INN (東京)

Tord Gustavsen Trio

Tord Gustavsen (p)
Harald Johnsen (b)
Jarle Vespestad (ds)

Tord Gustavsen Trio のライブは、結論から言ってしまうと予想外の内容で、足を運んでよかった、そうでなければ CD という1つのサイドからの Tord Gustavsen の姿しか捉えられないまま、それが彼の全てだと思い込んでしまっていただろう。

金曜日の夜、ノルウェー・ジャズウィークの最初のライブはそれなりに人が入っており、大半の人が着席できる程度だったので100人余り位だろうか。ステージ左にはピアノ、右にベース、中央にドラム。

スーツをソフトに着た3人がステージに登場し、静かに演奏が始まる。当然最初に目と耳が行くのは主役のピアノだけれど、まずピアノの音に驚いた。演奏云々以前に、Tord Gustavsen にこのピアノの音はないんじゃないか、と。彼が弾いているのはかなり小ぶりのヤマハ。会場が小さいから楽器が小さいのはもちろんだし、別にヤマハの音が嫌いなわけじゃない。ただ、このこもった張りのない音はどうなのだろう。オスロのレインボースタジオという、世界で有数と言っていい程鋭く、そして過度なまでにリバーブがかかったピアノの音がこれ以上ないくらい似合うピアノトリオがこのグループだ。目の前の音はそれの正反対の音。

ピアニストである限り、最高の状態の楽器ばかりが当たるわけではないのは当然で、Tord Gustavsen は常に自分のマイクを持参することで、少なくともピアノから出た音を最良の状態でアンプに通そうとしている。実際この日もピアノにセットされていたのは彼自身のマイクだった。ただ、この日のピアノはそれをも越えていた状態だった。そしてTord Gustavsen はその状況で自身の演奏の方をピアノに合わせるという私が全く予想もしなかった手に出た。

話をステージに戻すと、このピアノトリオはこの3人による親密な演奏が最大の特徴だ。曲はもちろん書かかれたものだし、新作の曲を中心に演奏しているが、曲そのものにはそれぞれのメンバーが自在に動ける空間があり、そこに絶妙のタイミングで音を落としていく。音数は極端に少ない。

3人の中で私がこれまで見たことがあるのは Jarle Vespestad だけだ。そのうちの3回が Farmers MarketSupersilent で2回。音楽的にはこの2つのいずれとも全く異なるこのグループで彼は何をするのか、それがこの日の関心事の1つだった。数種類のブラシを使い分け、静かにドラムをこすり、あるときは曲を展開させるためにちょっと驚くほどの鋭角的な切り込みも見せる。意外なことに、彼がやっていることは究極的には Supersilent での彼と全く同じことだったと言える。ただ、音数と音の大きさと音楽が違うだけだ、というのは大きな発見だった。決まったオチがある Farmers Market での演奏が彼の「違うサイド」だとすら言える。

Tord Gustavsen は MC で喋っているときはぼそぼそとした小声でやたら静かに喋るが、この日の演奏はかなり熱い演奏だった。テーマは確かにアルバムで聞き覚えのある曲だけれど、即興的なパートに重心が置かれ、その演奏がやたらに盛り上がる。ソロというか即興演奏のパートでは観客席から歓声が上がった程だ。念のため、ソロの後のおきまりの拍手ではなく、ソロの最中の盛り上がったところでの歓声だ。

ところで Tord Gustavsen は Nymark Collective というグループのレギュラーメンバーで、アルバムリリースもある。非常にオーソドックスで非常に上手いトランペッター Kåre Nymark Jr. がリーダーのこのグループはニューオーリンズ風のジャズを演奏する。CD ではこのニューオーリンズ風ジャズと、リリカルで静かな彼自身のトリオの音楽は全く別物だと思っていた。しかしこの日の Tord Gustavsen の演奏はこのグループでの演奏を思わせる部分が相当にあった。ニューオーリンズ風なら確かにこのピアノの音をカバーできる。ファーストアルバムで特徴的だったあの歌謡曲メロディーは後半に登場し、あああれが Tord Gustavsen を強く認識したメロディーだったな、と過去形で思い返させられたりした。CD で聞きなれたメロディーは保持したまま、予期せぬ方向へ展開したその演奏には本当に驚き、Tord Gustavsen が、意外といえば失礼だけれど、柔軟な姿勢を持つ優れたライブパフォーマーであることを十分に示したと思う。

演奏後、Tord Gustavsen 本人に確認したところ、この日のアルバムと異なるニューオーリンズ風展開を多用したのはやはりピアノの状態と会場の雰囲気を踏まえてのことだそうだ。いつもスタインウェイのコンサートピアノがあるとは限らないからね、僕らしいメロディーは残して、後はアレンジすることもあるんだよ、とさらりと言う。面白かったのは、Jarle Vespestad にあのニューオーリンズ風のビートを教えたのは僕なんだ、あ、もちろん僕がドラムを叩いたわけじゃなくて、こうこう、って説明したわけだけどね、との一言だ。

コンサートが終わった後の彼は、ステージ上のナルシスティックな彼とはちょっと異なり、ごく普通の話しやすい青年だった。サインを求めてきたファンに快く応じているの見て、初めて彼が左利きだと気づいた。あのメロディーは利き手ではないほうの手で弾かれているのだ。あれ、左利きなんだね、なんだか秘密を覗き見ちゃったみたいなんだけど、と言ったら、そう、実は内緒なんだよ、と笑ってくれた。私にとっては大阪から東京までの移動の直後のライブ、気持ちよくて寝入ってしまうのではと密かに危惧していたが、実際は眠るどころではなくいくつもの新しい発見、例えば CD というのはアーティストのほんの一面を見せるだけの媒体だという自分自身の再認識、このトリオに関して言えば、アルバムでも注意深く聴くまでもなくいくらかのニューオーリンズ風の要素は含まれていたのに、聞く側の私が ECM のリリカルなピアノトリオという固定概念でガチガチになっていたばかりにそれを見逃していたことに気づかされたことなどを含めて、多くのものが得られたステージだった。 (2005/05/08)


2009 2008 2007 2006 2005 2004 2003 2002 2001 2000

home