lives 2009

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2009-11-01 京都芸術劇場春秋座(京都)

Jaga Jazzist

Mathias Eick (tp, double-b, syn, vib)
Erik Johannessen (tb, per)
Line Horntveth (tu, fl, vo, per, glockenspiel)
Lars Horntveth (ts, ss, bcl, g, lapsteel, key)
Øystein Moen (key, syn)
Andreas Mjøs (vib, mar, g, per, electronics)
Harald Frøland (g, effects)
Even Ormestad (b, syn)
Martin Horntveth (ds, ds-machine)

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忘れられない鮮明な記憶がある。2001年7月17日の深夜、ノルウェー・モルデでのことだ。フェスティバルを見に来ていた私は、ちょうど公演を終えたばかりの Trygve Seim Ensemble のメンバー、ECM の Manfred Eicher、それに有名なエンジニア Jan Erik Kongshaug らとともに打ち上げのためホテル5階の部屋にいた。夜中の12時を回って日付が18日になった時、突如階下から大音響の演奏が響いてきた。その音を聴いて Manfred Eicher が顔をしかめ「今夜は誰?」と訊く。誰かが答えたそのバンド名は私にはなじみのないものだった。それから1時間半ほどもたっただろうか、誰かが、そのバンド、ノルウェーのグループなんだけど、凄くいいんだよ、と階下へ連れて行ってくれた。チケットを持っていなかった私はホテル1階の会場の楽屋口にはりついてその聴いたこともない演奏を聴いた。しかしそれはアンコールの数曲だったらしくほどなくして演奏は終わってしまい、今度は目の前の出入り口からめいめい楽器を抱えてどっと出てきたミュージシャンの人数と若さに驚いた。ECM 系を目的で見に行ったフェスティバルだったが、全く予想しなかった大きな収穫はその同じ日の夜に目の当たりにすることになる26才の Paal Nilssen-Love と、その大人数の若いグループ Jaga Jazzist で、恐らく "Animal Chin" だっただろう最初の1曲のインパクトと Manfred Eicher の驚いた顔とともに、ノルウェーの音楽を端的に知り、記憶する1日となった。

それから8年、ほとんど毎年ノルウェーに行っているのに彼らを見ることができたのは 2003年2月、それにほんの数ヶ月前の2009年7月の2回。彼らはずっと日本に行きたいと言っていたが、それがようやく実現して、この日の公演がその記念すべき日本初公演だ。

公演はトリプルビル。最初は5人編成の Hose というグループで、結構楽しめた。途中でメンバーが泣き叫ぶようなパフォーマンスを見せたり、観客を引っ張りだして客席間の通路で踊ったりとなかなかユニークな展開もあり、一緒に見ていた Martin Horntveth もウケている。彼らの短めのステージが終わった後、Martin とともに Jaga Jazzist の楽屋を覗いたら、開演1時間半前だというのにメンバーは時差ボケ直撃にて朝市のマグロよろしく爆睡中(そんな中、1人平然と覚醒しており、開場時間からうろうろし、Hose を最初から最後まで見た Andreas Mjøs のクールさはさすがだ)。と、楽屋のモニターが次のセット、Altered States の演奏を流し始めた。音量は絞ってあったが、モニター周辺に転がっていたメンバーが数人瞬時に反応、頭だけむくっと起こし、一瞬食い入るようにその演奏を聴き、次の瞬間、見に行こう!と起き上がって階下にダッシュしたその早さには驚いた。 Altered States が1時間弱というのはもったいないが、この3セットを一般料金2000円(学割1000円、校内生無料)で見れるのが凄い。ただし、チケットが安いのはよいのだが、京都造形芸術大学の学祭という性質上、客席からの一切の撮影は禁止(例えそれが Jaga Jazzist のメンバーであれ速攻制止されるという徹底ぶり)、飲食禁止。会場は歌舞伎などを想定した和風な作り(花道はさすがに撤去されていた)で、シート固定、2階席から赤いちょうちんがずらりとぶら下がり、Jaga Jazzist のセット替えの前には緞帳が下りたりする。これまで彼らを見たのがいずれもノルウェーで、オールスタンディングのフロアでビール片手に歓声を上げつつ踊る、という風だったので、随分雰囲気が違う。

30分確保されていたセット替えはスタッフの学生さんの予想を上回る手際の良さで進み、余裕で終了。緞帳の内側で最後まで調整に余念がなかったのが Andreas Mjøs と Mathias Eick。Mathias Eick は入念にウォーミングアップを行っている。準備が済んだメンバーは徐々にテンションが上がってきて、日本語で叫ぶ人、踊る人、飛び跳ねる人など様々。ノルウェーで見る時は観客の多くもそうだし、日本に来るバンドは大概小編成なので気にならなかったが、もそっと髭を生やし背が高くてガタイのよいメンバーたちは、その周りにいる華奢で小奇麗な日本人の学生と比べるとまるでノルウェーの山から出てきたようで可笑しい。そんな中、Martin Horntveth が時間ぎりぎりにぼそりと「ステージに上がったら大丈夫なんだけど......眠い...」とつぶやいたのには、心の中で「隊長、本当に大丈夫?」とちょっと心配になった(その後の彼のパフォーマンスを考えると冗談にしか思えないが、本当に眠そうだった)。

緞帳が先に上げられると、予想を上回る大歓声。メンバーはステージ袖からライトアップされたステージへ出て行き、演奏を始める。2階席も埋まり1階席はあっという間に総立ち、という報告がステージ袖に入ってくる。私は写真を撮るためにステージ袖にいたのだが、聴こえてくる歓声に、そんなところにいることにもどかしさを感じる。

4ヶ月前にモルデで見た時は、ステージ下かぶりつき過ぎでステージ全体を見る余裕がなかったが、今回は適当な距離で見ることができた。ステージは一番左にドラムの Martin Horntveth、前列中央左にヴィブラフォン、マリンバ、ギター、エレクトロニクスの Andreas Mjøs、前列中央右にギター(ラップスティールも含む)、サックス(テナーともう1本は普通のソプラノより小さく見えた)、バスクラリネット、そしてヘッドバンギング担当の Lars Horntveth、前列右端がキーボード、シンセの Øystein Moen、2列目は一番左、ドラムの斜め後ろにベースとシンセの Even Ormestad、その右に Stian Westerhus 脱退を受けて久しぶりに復帰した(今後活動を共にするかは不明)ギタリストの Harald Frøland、最後列は一段高く、ステージ中央奥がトランペット、ダブルベース、ヴィブラフォン、シンセと多才な Mathias Eick、その右がトロンボーンとパーカッションの Erik Johannessen、最後列一番右端がチューバ、フルート、パーカッション(グロッケンシュピールを含む)、ヴォーカルの Line Horntveth。管楽器が1人減り(オリジナルの Jørgen Munkeby → "What We Must" 参加の Ketil Vestrum Einersen 脱退)、現在は9人編成。前作 "What We Must" 以降ギターが2人変わった末(Anders Hana → Stian Westerhus)結局オリジナルの Harald Frøland がそこにおり、Stian Westerhus の轟音ギターより CD で聞き慣れた彼の音のほうがむしろ違和感がない。トロンボーン(オリジナルの Lars Wabø→)の Erik Johannessen はこのバンドの中核の金管楽器隊のレベルを飛躍的に上げ、キーボード(オリジナル Ivar Chr. Johansen → "The Stix" 参加の Morten Qvenild → "What We Must" 参加の Andreas Hessen Schei → Nils Martin Larsen →)の Øystein Moen は複雑な楽曲とアレンジの中、しっかり役割を果たしており、4ヶ月前の初ステージ以来ライブも回数を重ねて大分こなれてきている。

メンバーの楽器の持ち替えっぷりは凄まじく、1曲の中で何度も忙しく楽器を交換、場合によってはステージ上を移動して楽器のところまで来て演奏する。淡々とヴィブラフォンとギターを往復する Andreas Mjøs、隣の Lars Horntveth は対照的に常に頭を振りながら(サックスのストラップを着ける時くらい頭を振るのを止めればいいのに、とか余計なことを考えた)ギターにしろバスクラリネットにしろバンドの中で一番おいしい音をさらって行く。ここ数年で目覚ましく進化したのが Line Horntveth で、私が実際見ただけでも Hanne HukkelbergJarle Bernhoft といったノルウェーの人気シンガーのバックを務め、その場に応じたポイントを押さえた演奏をするマルチプレイヤーになり、またヴォーカルも前作以降のこのグループのアンサンブルに新たなカラーを加えている。また、紅一点で、ワンピースにハイヒールという姿で立ったままチューバを振り回さんばかりに演奏するその姿もなかなかだ。

マルチプレイーヤーぶりではやはりバンドで一番なのは Mathias Eick。音楽一家の出で、父との楽器であるヴィブラフォンとダブルベースも上手にこなす(蛇足ながら彼の姉もインプロ系ミュージシャンでフレンチホルン奏者だ)。特にダブルベースは、その音がないといくつかの曲(例えば "Animal Chin" など)は成り立たないほど重要な役割を果たしている。ここ数年で ECM からリーダー作を始めとして立て続けにアルバムがリリースされており、彼の柔らかで見事にコントロールされたトランペットの音はもはやあれこれ言うまでもない、と思ってきたのだが、さらに目に見えて上手くなっているように思う。2003年2月の Jaga Jazzist のステージでも極端にアンサンブル指向の強いこのグループで1人華やかなソロを披露し喝采を浴びた彼だが、今回の演奏にはまた驚いた。特に、"Another Day" の中盤のトリッキーなソロ、私はCDで聴いた限りでは妙なギターだなぁと思い、ギターソロを後から編集でもしたのだろうかくらいにしか思わなかったのだが、実はメタリックなエフェクトをかけたトランペットによるもので、その演奏はちょっと「目を疑う」ものだった。またライブでの彼の素晴らしい点には、その完璧な演奏もさることながら、心からこの音楽が好きで楽しんでいるというのが一目で分かるほどに楽しそうなパフォーマンスも挙げられる。

ステージ最初は向かって右の袖(チューバやキーボードに近い方)にいた私だが、ふと2003年のステージで見たことを思い出し、ステージ裏を回って左側のステージ袖に動いてみた。こちら側はモニター用のミキシングボードがあったり機材のケースが山積みだったりケーブルだらけだったりとカオスだが、Martin Horntveth の真後ろからステージを見て、やはり、と思った。このバンドのメンバーはほぼ全員、観客席ではなく、ステージ左端の Martin Horntveth の方を向いて演奏をしているのだ(ほぼ全員、というのは Martin Horntveth の隣の Andreas Mjøs だけが Martin Horntveth に背を向けていることが多いからだが、彼の場合背中を向けていてもちゃんと押さえるところは押さえており、なんだか 1人超越している雰囲気だ)。こちら側から見ると、腕を振り回す派手なアクションで叩く Martin Horntveth のみ背中で、他全員がよく見える。その左サイドから写真を撮ったりしているうちに曲は "All I Know Is Tonight" になり、エンジニアのセットリストを覗き込んでもはやこれまで、と写真撮影を放棄、会場を外からぐるりと回り客席最後列へ滑り込んだ。

観客席は1階が600席、2階が200席で、どちらもよく埋まっている。前日までに有料チケットが400枚出たというから驚きだ。開演時に訊いたところ、今日は2階席は開けません、とのことだったが、結局思ったより入ったからだろう、2階もいつの間にか開放されていた。彼らの知名度、前作から既に4年半で新作まで 2ヶ月という妙なタイミング、地方公演(しかも京都の北の外れ)であるということ、さらに雨天という条件を考えれば驚くべき集客だ。学祭のため前のほうにいるのは圧倒的に学生が多く、既に大変な盛り上がりになっている。しかしそれでも、日本の非常にまじめに音楽を聴くオーディエンスはメンバーにとっては静かすぎる、と感じられたのだろう、Martin Horntveth が煽りに煽る。「楽しんでるか〜?」と言って歓声が上がると「聞こえないぞ?」というポーズをしてもっと歓声を上げさせる、手拍子を求めたり、Tシャツ(着ているものではなく物販で売っているツアーTシャツ)を客席に投げ込んだりとやっていることは恐ろしく古典的なのだが、曲の進行、盛り上がりに合わせて上手に煽るのでどんどんボルテージは上がっていく。観客は曲をとてもよく知っており、旧作の曲はもちろん、来日直前のイギリス公演に合わせてバラまかれた新曲 "One-Armed Bandit" に対しても、曲のアナウンスと同時に歓声が上がる。その "One-Armed Bandit" に顕著だが、彼らのアルバムの録音は個人的にはいずれもやや作り込み感が強すぎ(これはエレクトロニカと呼ばれる種の音楽か、またジャズと呼ばれる種の音楽のいずれから彼らにアプローチしたかで印象は異なるだろう)、ライブでは例えドラムマシーンと使ったとしてもその作り込み感より9人編成ならではの演奏のダイナミックさが勝つところが、彼らがライブバンドだとされる所以だろう。

演奏はメンバー自身の成長とメンバーチェンジの双方から相当安定してきている。2003年に見た時は突っ込み気味のドラムを筆頭に勢いで押す感もあったが、今回(と前回、4ヶ月前)はかなり緻密な演奏だという印象を持った。派手なアクション付きで重心の低いドラムを叩いている Martin Horntveth に全員寸分狂いもなく合わせ、決めるところはぴたりと決める。そのどんぴしゃ感が 実にツボにはまる。しかもステージ中央ではそのぴたりと合わせるのとシンクロして Mathias Eick が腕を振ってアクションをキメていたりする。この日の演奏で難があったとすればサウンド面で、エレクトリックベース、ダブルベース、チューバ、トロンボーンと低音楽器が揃っているにもかかわらず中低音が軽く、最大3本になるギターがごしゃごしゃとしていたが、この日の演奏に特別な思いを持つメンバーと観客が、それらを吹き飛ばしてしまった。4ヶ月前のコンサートは音は完璧、演奏もその時のほうがよかったかもしれないが、私が大きなインパクトを受けたのは今回のほうだ。

1時間半ほどのステージは一旦終了し、2度のアンコールで3曲を披露した。4ヶ月前はこの段階で退出せざるを得なかったので、アンコール最終曲、"I Could Have Killed In The Sauna" の終盤を上手く使ってのメンバー紹介を聞き、ああ、2003年もこうだった、と急に思い出した。テンションの高いメンバー紹介は何を言っていても分からなさそうなノリだが、もはや何をやっても盛り上がる。

2階席は私のところからは見えなかったが、1階席のほとんどは立ちっぱなし、椅子をものともせず観客は揺れており、皆両手上がりっ放し。Jaga Jazzist はインスト曲しかなく、一緒に歌うでもないのにこの状態である。その様子を一番後ろから眺めつつ、凄いなあ、と感動すら覚えた。本編最後の "Oslo Skyline" のセンチメンタルなメロディーを聴き、キメの箇所がピタリと決まる度に盛上がる場内を見て、ふと冒頭の8年前のこと、ちょうどノルウェーでブレイクした時の彼らの音を思い出した。Jaga Jazzist は今年で結成15年、メインのソングライターである Lars Horntveth はまだ20代。彼らにとってその8年が長いのか短いのか分からないが、その前の7年と比べ、後の8年で彼らの回りを取り巻く環境が大きく変わったのは確かだ。自らの音楽に集中すべく脱退したメンバーはともかく、ミュージシャンとして生きて行く道を選ばず脱退したメンバーが複数いる、という事実が個人的に強く印象に残っている。前作 "What We Must" のライナーノート執筆の際、彼ら自身にとっての "What We Must" を Lars Horntveth に尋ねてみた。答えは "We must continue with the band" だった。いろいろあったが、彼らは多くの困難を伴うこの大所帯バンドを続けてきて、それがゆっくりながら着実に道を切り開いている。そんな彼らの一歩を記す来日公演になった。(2009/11/04)


2009-10-25 月見ル君想フ(東京)

Terje Isungset & Unni Løvlid

Terje Isungset (per, goat horn, voice, jews harp)
Unni Løvlid (vo)
巻上公一 (voice, theremin, jews harp)
中村仁美 (篳篥)

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Terje Isungset と Unni Løvlid のアジアツアーの中、韓国からやってきて韓国へ戻るスケジュールでの東京公演。3セットの、盛りだくさんと言えば盛りだくさんなコンサートだ。

最初のセットは Terje Isungset のソロ。バスドラム、スネア、タム、シンバルなどの普通のドラムだが、ハイハットについているのがシンバルでなくタンバリンと何やら細かなベル類。手元には石盤のようなうすべったい平らな石の上に、ごろんとした石が数個、脇には木の枝をいくつもぶら下げられ、もう少し細めの木をゆるく束ねたもの、さらにはホースを短く切ったようなもの、ヤギの角笛、そして口琴。ドラムセットを叩くスティックは、細い木の枝を束ねたものだ。

演奏は特に派手さもなく、淡々と様々な音が繰り出されてくる。楽器にはかなり高感度のマイクがセットされ、石がこすり合わされてゴロゴロいう音や、木と木がぶつかって、原始的なマリンバのようにごろんと響く音、小さいベルのチン!という音などを拾い、かなり大きい音で鳴らす。細いほうの木の束はがしゃがしゃと鳴らされ、口琴はブーンともビーンともビヨーンともつかない音を弾き出し、さらに、ヴォイスとかヴォーカルというより、羊飼いのかけ声みたいな声が加わる。

音楽のある種の原始形のようなその音は抽象的だが、時折現代的なビートが刻まれることもあり、心地よいグルーヴを保っている。彼の演奏にしては盛り上がりはやや控えめながら、さすがに聴き入らせる演奏だった。

第2部はテルミン、ヴォイス、口琴の巻上公一、篳篥(ひちりき)の中村仁美を迎えてのトリオ。私は見逃しているが、以前の Terje Isungset の来日公演で、ヴァイオリンを加えたカルテットでの共演がある。巻上公一と Terje Isutnset、巻上公一と中村仁美は音楽で会話しており、面白いやりとりが交わされるが、どうも Terje Isungset と中村仁美の間で会話が成立しない。音の相性は抜群だと思うのだが、中村仁美が楽器を持ち替えて悩み、結局また楽器を持ち替えたりと思考するシーンが目立ち、即興演奏に飛び込めなかった。巻上公一と Terje Isungset については、同じ楽器口琴での、ユーモアをたっぷりのやり取りがとても楽しめた。

そして第3部に Terje Isungset と Unni Løvlid。今回、私が日帰りでの上京を決意したのはこの Unni Løvlid のためだ。ちょっとフォーク調の白い衣装を着た Unni Løvlid は、しっかり観客を見つめてソロ最新作 "Rite" から "Vind, Kom" を歌いだした。風よ、来い、姿を表せ...という歌詞を持つ自作の曲だ。アルバムでは多くのゲストミュージシャンが参加、エレクトロニクスも含めた、淡く繊細ながらも緻密に彩色された曲である。曲そのものはアルバムと変わらないアレンジだが、6人による彩色を最小限の音を使って1人で置き換える Terje Isungset のフリーフォームな演奏にはっとさせられた。改めて気づいたのは、Unni Løvlid と Terje Isungset がデュオに近いフォーマットで共演するアルバムはこれまでにあまりなく、それぞれは聴き込んできた2人の共演ながら、私はほとんどどんな共演になるのか想像がついていなかったということだ。

アルバム "Rite" からの曲はセットの半分弱程度。なかでも色々な意味で印象に残ったのは "Eg Drikk Din Raude VIn" (I drink your red wine) という曲。アルバムでは Unni Løvlid のヴォーカルのオーバーダブのみで構成されている。これを、あらかじめ録音された音源を利用することでライブで再現していた。美しいメロディーを持つ曲で、"Rite" の中でも特に印象に残る曲だが、これを全てライブで、つまりループを使用して再現できなかっただろうか、というのは気になった。ごくごく短いシンプルなフレーズの繰り返しで、不可能ではなさそうなだけに、「機械に合わせた」パフォーマンスが少々残念だった。

Unni Løvlid のたたずまいは、私が知るノルウェーのシンガーの中では Susanna Wallumrød と少し共通する部分もあるように思われた。手元の歌詞を目で追いつつ、力を込めるでもなく、感情も過多に込めず、静かに、しかしどこか力強く自分の音楽を歌う。その声の求心力はかなりのものだ。異なるのは Susanna Wallumrød がどこかへ行ってしまうような感覚さえ覚えるのに対して、Unni Løvlid はステージにしっかり立っており、観客席のあちこちに視線を投げかけながら歌を歌うことだ。

今回の公演には彼女の「専属」とも言えるエンジニアの Ingar Hunsakaar が同行しており、音は極めて通常通りだったと思われるのだが、その声にかなりリバーブがかけられていたのも印象に残った。セカンドアルバム "Vita" の特殊な音響は特別なものだと思っていたが、普段の公演も普通考えるよりもやや長めのリバーブをかけているというのは興味深い。

結局3セットのどれも1時間弱、予定されていたより少し時間が押したようで、肝心の第3セットを途中で抜け出した人も多かったのが残念だった。お得感のあった3セットだが、少し長く感じたのも確かなので、それなら第1セットと第3セットのみの2セットで、後半をもっと長くしてもよかったかと思う。せっかく久しぶりに来日した(東京は初めて)の Unni Løvlid の出番が短く、惜しい気がしたので、そんなこともふと思ったのだがどうだろう。 (2009/11/04)


2009-02-03 難波ベアーズ (大阪)

Puma Marhaug

Stian Westerhus (g)
Øystein Moen (electronics)
Gard Nillsen (ds)
Lasse Marhaug (electronics)

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2年前くらいだっただろうか、Puma のメンバーの1人がメールをよこして、「ジャパン・ツアーをしたいんだ」と言ってきた時には、まさか、と思った。メンバーはまだ若く日本では名前も知られていないし、アルバムもほとんど手に入らない、補助金が下りて金銭的にツアーが可能となってもお客さんは来るんだろうか、と私ははなから実現するとは思わなかった。ところが、その後彼らは Lasse Marhaug とのコラボレーションを始め、日本に何度も来ている彼と一緒に文字通りのジャパン・ツアーを実現させてしまった。

開演時間ちょうどに会場に入って、非常に驚いたのが男性率の高さ。この手の音楽は大抵男性のほうが多いものだが、こんなに男性ばかりの会場は国内外あらゆるコンサートで始めてだ。会場はものすごく暗く、暖房も入っているのか入っていないのか分からないほどの肌寒さ、会場の隅では巨大な空気清浄機が大きな音を立てて回っている。

2セットのどちらが彼らだろう、と考えていたら、ノルウェー人がぞろぞろ出てきて位置に着き、中央の Øystein Moen が観客に向き、いきなりノルウェー語で挨拶。もともと静かな観客だが、皆唖然。喋った内容はごくごくありふれたステージ前の挨拶だったので、何語で言っても大抵内容の想像はつくが、大胆だ。最後の「.... Osaka.」しか分からずぽかんとした観客を放っておいて演奏は始まった。

ステージ中央奥にドラムの Gard Nilssen、向かって右に髪の毛を立てた(というかくしゃくしゃに近いのだけれど寝ぐせではないと思われる)ギタリスト Stian Westerhus、ステージ中央手前は冒頭の挨拶以外は終始観客に背を向けたままの Øystein Moen、そしてステージ向かって左に結構少なめの機材に向かう Lasse Marhaug。元々ピアニスト/キーボード奏者の Øystein Moen が現在このグループでは全く楽器を弾かず、音に合わせて体を揺らしながらひたすらツマミをいじっており、むしろ Lasse Marhaug のほうが金属製のトレイのようなものをこすって出すノイズを拾ったりとアナログな面もある。Lasse Marhaug のほうは時折変わった音を出し、また手元がオーディエンスから見えることもあり何をやってるかわかりやすいが、Øystein Moen のほうは具体的にどの音を出しているのかほとんど分からない。

一方、ドラムと、足元にずらりとエフェクターを並べているとはいえギターは完全に「楽器の演奏」。Stian Westerhus のギターはロックと即興演奏を自由に行き来する。ヨーロッパの即興演奏らしい掻きむしるような短い音と、思い切りのよいロングトーンを使い分け、弾いているアクションもそれに応じて変わる。Gard Nilssen のドラムには、彼独特の音の撒き方があり、一聴しただけでは何でもないようだが、なかなか面白い感覚を持っており、このグループのバランスを上手くキープしている。

Puma Marhaug というカルテットとしてのステージは、前半はエレクトロニクスの音も含めたジャズ(正確には即興演奏)、後半はもっとロックよりにシフトした。後半の部分は Stian Westerhus がドラマー Kenneth Kapstad とのデュオ Monolithic でやっているように、ギターとドラムがタイミングを合わせて腕を振り下ろすアクションと共にジャーン!とキメの音を炸裂させ、エレクトロニクスの2人はその合間にもノイズを発する。

ステージ後、Puma の3人が、東京で1ステージだけトリオで演奏する機会もあってよかった、というので、トリオとこのカルテットは違うのか、と訊いてみたところ、かなり違う、とはっきりした答えが返ってきた。3人だと、もっとあうんの呼吸で反応できるんだ、というのがその理由で、この日 Øystein Moen が観客に背中を向ける位置取りだったのも、他のメンバーがよく見えるようにとのことだという。その彼らの言葉に、Puma というトリオがどのように機能しているかを少し伺ったような気がし、トリオとしてのステージをとても見てみたいと思った。

この日の公演は2セット、恐らくほとんどの観客は彼らの後に登場した JOJO 広重が目当てだっただろう。しかし、公演終了後、彼らの持ってきたCDやLP が結構売れていた(物によっては彼らが持ち込んだ枚数が全てなくなったものもあった)ことに、この日のおとなしくてまじめな観客の静かな反応が、目に見える形で現れていた。 (2009/02/18)


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