マティアス・アイク『スカラ』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD

Mathias Eick (tp)
Andreas Ulvo (p)
Audun Erlien (el-b)
Torstein Lofthus (ds)
Gard Nilssen (ds)

1. Skala
2. Edinburgh
3. June
4. Oslo
5. Joni
6. Biermann
7. Day After
8. Epilogue

All compositions by Mathias Eick

マティアス・アイクを初めて観たのは2003年の冬、ノルウェー、オスロのクラブでのJaga Jazzistのライブだった。ジャズ、ロック、ポップ、エレクトロニカを融合させたこのグループは当時10人編成。極端にアンサンブル志向が強い音楽の中に用意された、マティアス・アイクの非常に短いソロパートで、彼は様々な観客をまとめて熱狂させる圧巻の演奏を聴かせた。またその演奏のみでなく、彼がトランペットの他にダブルベースやヴィブラフォンといった全く異なる楽器をこなすこと、そして演奏している様が実に楽しそうだったことも非常に強く印象に残った。

マティアス・アイクは1979年生まれ、今年32歳になる。父はジャズ・ミュージシャン(楽器はベースとヴィブラフォン)、母もコーラスで歌っており、15歳年上の兄ヨハネスはよく知られたジャズ・ベーシスト、10歳年上の姉トゥルーデも即興演奏系のホルン奏者という音楽一家の末っ子として育った。(尚、本作のスリーブ内のグループ写真を手がけている写真家コリン・アイクは従兄弟にあたる。)家にはテレビもなく、何かをするなら楽器をやるしかなかった、と自ら振り返る環境で早くから音楽に興味を持ち、5歳からピアノやトランペットを習い始めた。

彼は、名門トロンハイム音楽院を卒業するのと時を同じくして、Jaga Jazzistのメンバーとして知られるようになる。グループがファーストアルバムをリリースした後に加入、彼らの名前を世界的に知らしめたセカンドアルバム『ア・リビングルーム・ハッシュ』(2001年)以降、グループの中核を担うようになる。

一方、もっとジャズ的なグループとしては、1999年の結成以降、コンスタントに活動しているMorifにも参加している。古典的なクインテット編成で、オーソドックスなジャズを現代の音楽として魅力的に聴かせるグループだ。2004年以降、これまで4作品のリリースがあり、来日公演も行っている。

彼が自身のプロジェクトに取り組む直接的なきっかけになったのが、2006年に、国際ジャズフェスティバル機構と国際ジャズ教育協会が主催する、30歳以下のジャズ・ミュージシャンを対象とした「International Jazz Award for New Talent」の2007年の最優秀ミュージシャンに選ばれたことだ。2007年1月に行われた受賞記念のニューヨーク公演で、ヨン・バルケ(キーボード、ピアノ)とアウドゥン・クライヴェ(ドラム)というベテランを率いての自身のトリオをお披露目した。このトリオにアウドゥン・アーリエン(エレクトリック・ベース)が加わり、ファーストアルバムへと繋がる。

彼のリーダー作をリリースすることになるレーベルECMとは、もっと前から「縁」がある。彼は兄ヨハネスの持っていたECMのレコードを幼い頃から聴いて育ったという。クリスティアン・ヴァルムレーやトリグヴェ・サイムらECM系ノルウェー人アーティストと共演してきた兄ヨハネスのほうが、マティアスより典型的なECMに近い音楽性で、なるほどのエピソードだ。

マティアス・アイクがECMに録音するきっかけになったのは、ノルウェーのギタリスト、ヤコブ・ヤングのグループに、ニルス・ペッター・モルヴェルやアルヴェ・ヘンリクセンの後任として入ったことで、『Evening Falls』(2004年)、『Sideways』(2007年)の2作品で堂々としたフロントマンぶりを発揮している。さらに、フィンランドのピアニスト・ハープ奏者イロ・ハールラの『ノースバウンド』(2005年)と『Vespers』(2011年)、フランス人ドラマー、マヌ・カッチェの『プレイグラウンド』(2007年)と参加作が続き、新世代ECM系ノルウェー人ミュージシャンの顔となった。

2008年5月リリースのマティアス・アイクの初リーダー作『The Door』は、良くも悪くもECMな作品だった。グループを結成したごく初期の音はエレクトリックピアノをフィーチャーしたグルーヴィーなサウンドだったが、アルバムでは「いかにもECM」な音に変わっていたからだ。オスロの有名なレインボー・スタジオでの、レーベル・オーナーのマンフレート・アイヒャーのプロデュースでのデビュー作、しかもメンバーはリーダーより一回り以上上のベテランばかり、その中にはECMに多くの作品を録音しているヨン・バルケがおり、無理からぬことだろう。

前作からの転換は、ピアニストがアンドレアス・ウルヴに代わったことから始まる。1983年生まれとマティアス・アイクより若いこのピアニストは、典型的なジャズ系のピアニストとは一風異なり、楽曲または音楽全体を捉えてそこに自身の音を置くような演奏をする。自身のトリオEple Trioでの3作品の他、今年リリースされたソロ作『Light & Loneliness』でその持ち味を発揮している。

ドラマーの交代はもっと特徴的だ。前任のアウドゥン・クライヴェも、ジャズ・ドラマーとしてはロックの要素を多く持っているが、ドラマーを2人にすることでマティアス・アイクの持つグルーヴをより具体的に表現することに成功している。しかも、選ばれたドラマーが驚きである。ジャズロックからポップまで、かなりヘビーなドラミングを持ち味とし、ShiningやElephant9といったグループでの活動で知られるトーシュタイン・ルフトフス(1977年生まれ)、もう1人はフリージャズからジャズロックをカバーし、PumaやBushman’s Revengeといったグループで来日もしているガール・ニルセン(1983年生まれ)。おおよそECM的ではない、むしろ最もECMから遠い音楽性のドラマーを起用してECMへレコーディングし、らしさを示したことは痛快ですらある。

マティアス・アイク本人以外で、ただ1人前作から引き続きグループに留まったのは、ファーストアルバム前に最後に加入したアウドゥン・アーリエン(1967年生まれ)。滑らかでメロディアス、なおかつグルーヴィーなラインを弾くエレクトリック・ベースの名手は、マティアス・アイクの音楽の基本となる部分を余裕を持って支えている。参加作は多いが、ECMリスナーにとってはやはりニルス・ペッター・モルヴェルの名作『Solid Ether』(2000年)がよく知られているだろう。

メンバーだけでなく、本作は録音のプロセスも前作と大きく異なる。レインボー・スタジオではなく、オスロのスタジオをいくつか借り、5~6週間に渡り録音されている。スタジオに入ってから作曲された曲もあり、多重録音といった手法も取り入れられている。ポップ・アルバムを製作するようなこのプロセスは、ジャズ的、またはECM的とも言い換えられる数日でのセッションとは対照的だが、マティアス・アイク自身は、ポップミュージックの世界では半年位スタジオにこもることも多いから、大して長いとは思わない、と言う。ジャズに留まらない彼の音楽性を象徴しているようで興味深いプロセスである。

前作の時点では、彼がこれまで長い間演奏してきたJaga Jazzistと彼自身のプロジェクトは全く別物なのか、と感じられたが、本作を聴くと、決して別物ではないのがよく分かる。アルバムに収録されている多くの曲は、Jaga Jazzistのアルバムに入っていてもおかしくないような仕上がりでさえある。Jaga Jazzistでは、メンバーのラーシュ・ホーントヴェットがほとんどの楽曲を手がけており、これまでマティアス・アイクは1曲も楽曲を提供していないにもかかわらず、だ。

マティアス・アイクにとって、Jaga Jazzistはどういうものなのだろう。彼は、このクインテットとJaga Jazzistでの活動がメインだと言い切る。Jaga Jazzistは親しい友人たちであり、長い間共演していて、グループで演奏して世界中をツアーして回ることを楽しんでいるという。さらに、ラーシュ・ホーントヴェットが書く70年代のプログレなどにインスパイアされた楽曲を大編成のグループで演奏することは本当に楽しい、と強調する。そして、長い間一緒に演奏してきたから、その影響が本作にも出ているのかもしれない、と分析する。自身の、より小編成のグループとの違いについては、こちらのほうがよりオープンで、もっと即興演奏の要素があり、自分自身にとっても挑戦なんだ、と言う。

今年中に新作を作りたいと思っている、と既に次のアルバムに向けてのアイディアがあることをほのめかした彼は、もっと曲を作って、ツアーして回りたい、と続けた。彼のその言葉が、本作の楽曲のタイトルにも見て取れる。作曲された地名、インスパイアされた人などを短くタイトルにした楽曲は、彼の日々の記録のようだ。特に、ノルウェー出身であるマティアス・アイクにとって馴染みのある地名であるノルウェーの首都を冠し、左右に配置されたドラマーの絶妙のずれが面白い「Oslo」はアルバムを代表する1曲だ。また、最終トラックの「Epilogue」ではマティアス・アイクがトランペットに加えヴィブラフォンやダブルベースを演奏しており、多才ぶりがよく分かる。同時に、トーシュタイン・ルフトフスのアグレッシブなドラムを上手く使い、なおかつECMらしく上品にまとめている。

マティアス・アイクの美しいトランペットによって奏でられる、よく耳に残る、ポップでどこかノスタルジックなメロディーは、多くの人の心に響くだろう。日本人にとって、特別に記憶されることになるであろう2011年の春、私はこのアルバムを毎日繰り返し聴いた。最終トラックの、アルバムを締めるというより次のステップに向かうような音の、その先にあるものを予感しながら。

2011-07-06 / ユニバーサル クラシックス&ジャズ / UCCE-7013 / 原盤 ECM Records, ECM 2187, 2011