テリエ・リピダル 『ヴォッサブリッグ』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD

Terje Rypdal (g)
Palle Mikkelborg (tp, syn)
Bugge Wesseltoft (el-p, syn)
Ståle Storløkken (Hammond org, el-p, syn)
Marius Rypdal (electronics, samples, turntables)
Bjørn Kjellemyr (el-b, ac-b)
Jon Christensen (ds)
Paolo Vinaccia (ds)

1. Ghostdancing
2. Hidden Chapter
3. Walts For Broken Hearts / Makes You Wonder
4. Incognito Traveller
5. Key Witness
6. That’s More Like It
7. De Slagferdige
8. Jungeltelegrafen
9. You’re Making It Personal
10. A Quiet Word

ヴォスはノルウェーの西海岸南部、フィヨルドの玄関口ベルゲンから入り江を入った人口1万4千の小さな街。ここで毎年復活祭前の週末に国内有数のジャズフェスティバルVossa Jazzが行われる。30周年を迎える2003年度のフェスティバルの委託作品をテリエ・リピダルが手がけることが発表されたのは2002年秋。ちょうどECMへの前作”Lux Aeterna”のリリースと重なり、大きな話題を呼んだ。

作品のタイトルは”Vossabrygg”、英語に置き換えると”Vossa Brew”。ヴォスに同名の地ビールがあり、地元紙にはユーモアを交えて「テリエ・リピダル、ヴォッサブリッグを製造」などという見出しが載ったが、もちろんこれはマイルス・デイヴィス『ビッチェズ・ブリュー』へのトリビュートだ。前年のクリスマスに『コンプリート・ビッチェズ・ブリュー・セッションズ』を長い時間かけて聴き込んだところだったというリピダルは、Vossajazzからのオファーを受け、『ヴォッサブリッグ』のアイディアに至ることになる。

2003年4月12日のステージはノルウェー国営放送NRKによって録音され、翌日にはラジオ番組で50分程の演奏が放送された。当初よりECMからのリリースを想定しての録音でもあったが、まさかこれをECMから、というのがウェブ中継の演奏を聴いた印象だった。そして3年近く経ってようやくリリースされる運びとなったバージョンは若干ECMらしく整えられた形跡があるものの、ユニークなこのプロジェクトの全容は十分留めている。

この『ヴォッサブリッグ』は、正確にはマイルス・デイヴィスと、彼と共演した全てのミュージシャンへのささやかなトリビュートだとリピダル自身は説明する。となるとプロジェクトの管楽器奏者にはパレ・ミッケルボルグしか考えられないだろう。デンマーク出身のこのトランペッターは、マイルスの『オーラ』(1985年録音)の楽曲を手がけたことでよく知られる「共演者」だからだ。彼はまたリピダルの長年の共演者でもある。ヨン・クリステンセンらとのカルテット、後にはトリオとして”Waves”(1978)と”Descendre”(1980)、そして最近では”Skywards”(1997)と”Lux Aeterna”(2002)の他、パレ・ミッケルボルグの”Song…Tread Lightly”(2000; Sony)には逆にリピダルが参加している。

リピダルの最近の活動の中心となっているのはSkywards Trioだ。アルバム”Skywards”はECMのオーナー、マンフレート・アイヒャーとのコラボレーション25周年を祝うスペシャルプロジェクトで、そのアルバムにも参加していたイタリア出身のドラマー、パオロ・ヴィナッチアとキーボード奏者ストーレ・ストーレッケンとのトリオはそこから発展したものだ。今年2006年はSkywards Trio結成10周年、『ヴォッサブリッグ』はこのトリオの初めてのレコーディング作品でもある。

パオロ・ヴィナッチアは前述の”Skywards”以外ではアリルド・アンデルセンの近作『エレクトラ』(2005)や”Hyperborean”(1997)などでECMに録音がある。長年オスロを拠点に活動しているが、それでもやはり音にはノルウェー人ドラマーにはない、どこか南方的な要素があり、そこが彼の音を必要とするノルウェー人ミュージシャンが多い所以だろう。

一方のストーレ・ストーレッケンはフリーインプログループSupersilentのメンバーとして知られ、1997年に結成されたこのグループとSkywards Trioの活動期間はほぼ一致する。他のミュージシャンをゲスト参加させることはないSupersilentだが、唯一の例外としてテリエ・リピダルのみこれまで数度ライブに参加、完全即興の音楽に溶け込み、かつ「らしさ」を発揮する演奏をしている。ストーレ・ストーレッケンはこの作品でも独特の歪んだ音で大胆に切り込んでくる。

Skywards以前のリピダルの活動の中心となっていたのは1984年に結成されたロック色の強いグループThe Chasersだ。最初はトリオとして”Chaser”(1985)と”Blue”(1987)、キーボード奏者を加えたカルテットで”The Singles Collection”(1989)、Skywards結成直前の1992~1996年に再結成し、ストリングスを加えた編成で”If Mountains Could Sing”(1995)をリリースしている。このユニットのベーシスト、ビョルン・ヒェレミールは『ヴォッサブリッグ』でも聴かれるようにエレクトリックもアコースティックも同様にこなし、またジャズからジャズロック、最近ではトラッドのグループでも活動、またECM New Seriesからのリリースも控えるなど音楽的にとても幅広いプレイヤーだ。

もう1人のドラマーはヨン・クリステンセン。ジョージ・ラッセルの北欧時代やヤン・ガルバレクのグループが活動を始めた1960年代から、そしてリピダルのリーダー作としては唯一ECM以外に残されたファーストアルバム”Bleak House”(1968年録音)以来現在に至るまで、様々なセッションやレコーディングで共演している。同時にECMを代表するドラムの音色の持ち主であり、『ヴォッサブリッグ』ではパオロ・ヴィナッチアとの微妙なアンサンブルが面白い。特に7曲目の”De Slagferdige”(”the ready-to-beat”の意)での静かなドラムデュオはアルバムのアクセントにもなっている。

もう1人のキーボード奏者はブッゲ・ヴェッセルトフト。Jazzlandのレーベルオーナー、またミュージシャンとしてノルウェーの新世代のジャズを世界に知らしめた立役者である。ただリピダルとの接点はあまりなく、このプロジェクトで唯一意外な人選と言えるかもしれない。しかしこれが『ビッチェズ・ブリュー』にインスパイアされたユニットで、もう1人のキーボード奏者ストーレ・ストーレッケンがジョー・ザヴィヌルに大きな影響を受けたプレイヤーであることを考えれば、リピダルはもう1人のキーボード奏者にチック・コリアの役割を求めるはずである。そういう点ではノルウェーを代表するキーボード奏者であり、またストーレ・ストーレッケンとはかなり違う、よりクリアな音色を持つブッゲ・ヴェッセルトフトはうってつけだ。

多くの個性的なミュージシャンを並べるにあたり、リピダル自身も楽曲をきっちり書くのはもったいないと語っているように、アレンジは比較的緩めに用意され、それぞれのプレイヤーにそのカラーを活かす場が与えられている。ところでこの『ヴォッサブリッグ』と『ビッチェズ・ブリュー』を比べた時、『ヴォッサブリッグ』のパートが1つ欠けているのに気づくだろう。ドラムとキーボードはそれぞれ2人ずつだが、ベースは1人だ。実は当初、リピダルはECMのオーナー、マンフレート・アイヒャーをゲスト・ベーシストとして加える構想を持っていた。実際、プログラムが発表された時には話題になったが、結局実現には至らなかった。その代わりビョルン・ヒェレミールは1人で2人分といえるほどアコースティックにエレクトリックにと目まぐるしい。このダブルトリオの構想についてリピダルは、楽曲ではなく編成における「タイトさ」は音楽的にとても面白いと語っている。

そしてこの作品にはテリエ・リピダルの次男マリユス・リピダルが参加している。ドラマーであり、エレクトロニクスやターンテーブルを駆使する今時のアーティストである彼は、Chillinutsという同様のミュージシャン3人によるユニットで”Reworks; What Kind of Machine Is This?”(2004; Curling Legs)をリリースしている。このアルバムは同レーベルの音源から新しい楽曲を作り出すリミックスアルバムで、彼を始めとするこの世代のミュージシャンが「ジャズの最も美味しい音」に敏感なのがわかる興味深い作品だ。

そのマリユス・リピダルが父親の音源を扱い始めたのは『ヴォッサブリッグ』の4年前頃のことだったという。彼が目を付けたのは”Ineo”、1990年のアルバム”Undisonus”に収録されているコーラスと室内楽オーケストラのための楽曲だ。ビートが加えられたマリユス・リピダルによる短いバージョンをテリエ・リピダルはとても気に入ったそうだが、当時はそれをどのように使うか思いつかなかったという。そしてこの『ヴォッサブリッグ』のステージで父子共演となったが、テリエ・リピダルは息子のキャリアを助けるためでも、また彼自身が、DJをジャズに加える流行のスタイルを真似るわけでもないと断言する。マリユス・リピダルは主に3曲で父親のアルバムからの音源をリミックスしており、特に2曲目”Hidden Chapter”には驚くべきものがある。”5th Symphony”(2000)と前出の”Ineo”を繋ぎ、”Undisonus”のヴァイオリンをリピートし、そこへライブでテリエ・リピダルのギターを重ねるその手腕は鮮やかだ。いずれもクラシック寄りの音源であり、着眼点も面白い。

アルバム冒頭の”Ghostdancing”ではいきなり『ビッチェズ・ブリュー』冒頭の”Pharaoh’s Dance”と同じフレーズが登場し驚かされるが、その後はトリビュートといえどもリピダルらしい音楽になっている。楽曲の多くはこのプロジェクトのために書かれたものだが、3曲目”Waltz for Broken Hearts”のように、以前に書かれそれまで未発表だったものも含まれる。

『ビッチェズ・ブリュー』が録音されたのは1969年。リピダルがロックグループThe Vangardsでの活動を停止したすぐ後、初リーダー作”Bleak House”を録音した翌年、ポップグループThe Dreamで1枚のレコーディングを含めた2年の活動を終えた頃、そしてヤン・ガルバレクのカルテットに加入した年でもある。彼はその頃のことを自身の転換期だったと振り返り、また『ビッチェズ・ブリュー』は彼にとって、その当時だけでなく現在に至るまで重要な作品だと言う。そしてそれから随分時間が経ったが、それ以来これほどまでに重要な音楽はさほど出てきていないと続ける。

リピダルはロックのスピリットを持ったギタリストであり、インプロヴァイザーであり、また作曲家でもある。これについて、リピダルは自分の音楽を様々な異なる形で表現するのが好きだからと説明する。『ヴォッサブリッグ』はその全ての面で彼の持ち味が発揮された作品であり、またマイルス・デイヴィスからの影響を、新旧の共演相手と、父からの影響を新しい世代らしい形でフィードバックする息子との共演という特別な形で表現するものである。

※ テリエ・リピダルのインタビューはBergens Tidende紙2002年11月6日付およびAftenposten紙2002年11月30日付の記事より引用しました。

2006-03-15 / ユニバーサル ジャズ&クラシックス / 原盤 ECM Records, ECM 1984, 2006