ホーヴァル・ヴィーク・トリオ『アーケイズ・プロジェクト』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD

Håvard Wiik (p)
Ole Morten Vågan (b)
Håkon Mjåset Johansen  (ds)

1. Arcades
2. Malachi
3. Wiesengrund
4. Odradek
5. W.f.W.
6. Enology
7. Portbou
8. Italics
All compositions by Håvard Wiik

ホーヴァル・ヴィークを初めてライヴで見た時のことをよく覚えている。2001年の夏、地元では既に話題になっていたグループ、アトミックのファースト・アルバムがリリースされる数ヶ月前のことだ。彼の、特にその右手から紡ぎ出される流麗な音は、オスロのクラブの日常的なセッションの雑然とした空間に、一瞬にして全く別の凛とした雰囲気を持ち込む魔力を既に備えていた。それから6年。次々に若い優れた才能を輩出するノルウェーのシーンにあって、ホーヴァル・ヴィークは最も大きく躍進したアーティストの1人である。

1975年生まれ、今年32歳になったホーヴァル・ヴィークが、地元ノルウェーで広く知られるようになったのは、Elementというモーダル・ジャズを演奏するカルテットでのことだ。1996年と1999年にアルバムを残し、今やかの地ではカルト・グループとして記憶されるこのグループは、その後1999年にアトミックに発展した。スタジオ・アルバムを3枚リリース、間に3枚組ライヴ・アルバムを挟み、2005年4月と2006年2月の2度の来日公演を行ったアトミックは、名実ともに北欧を代表するグループとなった。2005年のライヴ・アルバム『ザ・ビキニ・テープス』から2006年の最新作『ハッピー・ニュー・イアーズ!』への確実な歩みは、それぞれのミュージシャンの充実した活動、特にグループ最年少のホーヴァル・ヴィークの演奏者、また作曲家としての成長を如実に反映するものである。それまでのメイン・ソングライターであったスウェーデン出身のサックス奏者フレデリク・ユンクヴィストに加え、新たにホーヴァル・ヴィークが異なるタイプの楽曲を提供するようになり、これがアトミックの音楽の幅を広げることになったからである。

また彼は、アトミック以外にも多くのアルバムやセッションに参加している。中でもシカゴのリード奏者ケン・ヴァンダーマークとアトミックのベーシスト、インゲブリクト・ホーケル・フラーテンと組んだトリオFree Fallでは『Furnace』(2003年、Wobbly Rail)と『Amsterdam Funk』(2005年、Smalltown Superjazzz)、アトミック初期のサックス奏者ホーコン・コーンスタとのデュオでスウェーデンのレーベルMoserobieから『Eight Tunes We Like』(2005年)と『The Bad And The Beautiful』(2006年)のそれぞれ2枚のアルバム・リリースがあり、彼の代表的な作品に数えられる佳作揃いである。

さらに、ホーヴァル・ヴィークはその実力に見合った高い評価を受けている。2004年、ノルウェーで最も大きなジャズフェスティバルであるモルデ・インターナショナル・ジャズフェスティバルの「アーティスト・オブ・レジデンス」を務め、フェスティバルの「顔」として連日様々なアーティストとの公演を行った。2002年にはアトミックのドラマーでホーヴァル・ヴィークより1つ年上のポール・ニルセン・ラヴが同じ栄誉を受けているが、20代のミュージシャンが選出されるのは極めて異例のことである。尚、このモルデは、彼が17歳の時にプロの演奏家としてデビューし注目されたという所縁もある。また、2006年にはコンクスベルグ・ジャズフェスティバルで、ノルウェーのジャズ賞としては最も権威ある賞の1つ「ヴィタル賞」を受賞した。彼は先のモルデで初めてソロ演奏を行ったが、ヴィタル賞受賞の記念として今年2007年のコンクスベルグでは、再びソロ・コンサートを行う予定となっている。尚、その直前には初のソロ作『Palinode』(Moserobie)のリリースも控えており、大きな注目を集めるだろう。

ところで演奏者としてのホーヴァル・ヴィークは、先人たちの影響を伺わせつつも比較的確立されたスタイルを持っており、またその振れ幅はあまり大きくない。例えば他のノルウェー人ミュージシャンたちのように、歌伴をやるわけでも、エレクトロニクス使いやロックやクラブミュージックを取り入れるわけでもなく、また極端にアブストラクトな即興演奏もない。その中でも、彼はグループ毎に少しずつ異なる試みを見せている。アトミックでは極端なまでにアンサンブル志向の強いパワフルな音楽の中に鋭く切り込み、ホーコン・コーンスタとのデュオでは、既存の曲を彼ら自身の「言葉」で解釈をすることに取り組む一方、作曲と即興の両方を含むソロでは、他のプロジェクトよりクラシックに近い演奏を披露することもある。

そのホーヴァル・ヴィークがピアノ・トリオという非常に普遍的なフォーマットの自身のグループを結成したのは2001年のことだ。マッツ・アイレッツェンとペール・オッドヴァール・ヨハンセンという、ECMからボーカル物にトラッドまで幅広くこなす名手と組んで2003年にリリースしたファースト・アルバム『ポスチャーズ』は、同年度のノルウェー・グラミーにノミネートされるほどの高い評価を得た。しかし2004年にはこのトリオでの活動を停止させ、その後は2005年夏のリー・コニッツとの共演のためなどに単発のライヴを行ったのみである。その間数年間かけて新しいピアノ・トリオを構想したという彼は、2006年に新しいホーヴァル・ヴィーク・トリオをスタートさせた。

1975年生まれのホーコン・ミョーセット・ヨハンセンは、アーバン・コネクション、カム・シャインなどのグループでの活動で知られるドラマーで、来日も既に5回を数える。一方の1979年生まれのベーシスト、ウーレ・モッテン・ヴォーガンは最近ではブッゲ・ヴェッセルトフトのグループへの参加でも知られるが、何と言っても彼がリーダーとして楽曲も手がけるグループ、モーティフが注目される。この2人はモーティフでもグループの核を担う名コンビで、共に溌剌とした演奏が持ち味である。そのモーティフで、セカンド・アルバム録音後に脱退したアイスランド人ピアニスト、ダーヴィッド・トール・ヨンソンの代役を長期に渡って務めているのがホーヴァル・ヴィークである。彼にとってはあくまで代役としての参加だというが、グループにとってはこれ以上ない後任という微妙な状況で、アルバムでこそまだ共演はしていないが、同じバンドのメンバーとして多くのライヴをこなしているため、既に互いを良く知る関係である。新鮮な顔ぶれながらも比較的短期間で新しいトリオとしてグループがまとまったその相性は、このアルバムの演奏にもよく見て取れる。

例えば、冒頭の「アーケイズ」は、ダイナミックで活きのいい3人のミュージシャンのカラーを活かした、新しいトリオの「名刺代わり」となる強力なトラックだ。ホーヴァル・ヴィーク自身は、このアルバムを前作の続きであると位置づけながらも、楽曲、そしてピアノ・トリオというフォーマットにおける演奏という点でも、より「強い」ものに仕上がったと自信を見せている。

ところでこのアルバムは、音楽のみならずそのタイトルも興味深い。アルバム・タイトルはドイツの文芸評論家/思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)の『Das Passagen-Werk』の英訳タイトルから取られている。19世紀から20世紀にかけてのパリのアーケードを初めとする様々な文化についての考察を書きとめたもの、それに他の書物からの引用などを含む未完の大作草稿集で、日本でも『パサージュ論』として紹介されている。この著作に多く見られる「イタリック」(斜字体)、ユダヤ人であるベンヤミンがナチスに追われ服毒自殺を遂げた地とされるスペインの「ポル・ボウ」、そして敢えて略して記されている「W. f. W.」もベンヤミンに因むものである。さらにはベンヤミンの友人の哲学者テオドール・アドルノ(1903-1969)のミドルネームから名付けられた「ヴィーゼングルント」、ベンヤミンが敬愛の念を抱いていたというフランツ・カフカ(1883-1924)の短編小説『父の気がかり』に登場する不思議な物体「オドラデク」。アトミックの最新作を、ジョン・ケイジの著作を引用し『ハッピー・ニュー・イアーズ!』とタイトルしたのは他ならぬこのホーヴァル・ヴィークで、このアルバムでも彼らしいセンスを見せる。

アルバムは全8曲、前述の文学的な引用、それにタイトルそのものには特別深い意味はないという「マラキ」を除くと1曲「エノロジー」が残る。ホーヴァル・ヴィークは、友人のミュージシャンたちが皆、彼にはかなわない、と脱帽するほどのワイン通であり、「ワイン醸造学」を意味するこれもまた彼らしいタイトルである。変わらず美しい音色の彼のピアノとゆるやかに変化を見せる音楽を、ゆっくりと時を経て熟成されるワインに例えてみるのはどうだろうか。

このアルバムは地元ノルウェーより3ヶ月も早く日本でリリースされ、6月にはこのトリオでの来日公演が実現する。今年、彼の最新の音色をいち早く味わえることを楽しみにしたい。

2007-06-13 / ユニバーサル クラシックス&ジャズ / UCCM-1124 / 原盤 Jazzland Recordings, 2007