ジャガ・ジャジスト『ホワット・ウィ・マスト』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD

Jaga Jazzist:
Harald Frøland (g, effects)
Andreas Mjøs (g, vib, Omnichord, marimba, per, glockenspiel)
Martin Horntveth (ds, per, gong, vo)
Ketil Vestrum Einarsen (fl, afl, toy sax, wind controller)
Lars Horntveth (g, Bb cl, bcl, ss, Mellotron, key, lap steel glockenspiel, tamboura, vo)
Even Ormestad ( b, SH-101, baritone g, p, marimba)
Lars Wabø (tb, euphonium)
Mathias Eick (tp, upright b,   vig, key, solina strings, vo)
Line Horntveth (tu, per, vo)
Andreas Hessen Schei (syn, Fender Rhodes, Wurlitzer, p, Mellotron, vo)

1. All I Know is Tonight (Lars Horntveth / Andreas Hessen Schei)
2. Stardust Hotel (Jørgen Munkeby / Lars Horntveth / Mathias Eick)
3. For All You Happy People (Andreas Mjøs / Lars Horntveth)
4. Oslo Skyline (Lars Horntveth)
5. Swedenborgske Rom (Andreas Hessen Schei)
6. Mikado (Lars Horntveth)
7. I Have a Ghost, Now What? (Lars Horntveth)

Bonus Tracks for Japan:
8. Mikado (demo)
9. All I Know is Tonight (demo)
10. Stardust Hotel (demo)
11. Swedenborgske Rom (demo)

Jaga Jazzist は2004年12月に結成10年を迎え、オスロで3日間の記念フェスティバルを行った。出演したのはギタリストのハラール・フレーラン(ソロ)、TUB Quartet、マッティン・ホーントヴェット(ソロ)、ラーシュ・ホーントヴェットのソロプロジェクトPooka、Shining、Susanna and the Magical Orchestra、The National Bank、そしてもちろん Jaga Jazzist。Jaga Jazzist が多くのバンドの母体で、これらのミュージシャンやグループが1つのファミリーであることを知ってもらえたのが最高だった、とラーシュ・ホーントヴェットはその3日間を10年のハイライトの1つに挙げる。

1994年、テンスベルグというノルウェーの首都オスロから南へ車で1時間ほどの小さな街でグループは結成された。ごく初期はJævla Jazzist(イェヴラ・ヤシスト)と名乗っていたが、「いまいましいジャズミュージシャン」というその名前では地元紙に名前を載せづらいとのことで「追いかけられたジャズミュージシャン」という意味の方言のJaga Jazzist(ヤガ・ヤシスト)に改名する。1996年12月に “Jaevla Jazzist Grete Stitz” を自主制作、1000枚限定のこのファーストアルバムはラップあり演説ありの奇天烈な内容だが、「クレイジーだけれど大好きなアルバム」と彼らは誇らしげだ。

そのファーストアルバムから1998年の “Magazine EP” への変化は、その後の2枚のアルバム “A Livingroom Hush”(2001)、”The Stix”(2002) へと続く重要なステップだ。そして”The Stix”からこの4作目 “What We Must” で彼らはそれに次ぐ大きな変化を見せる。先の変化はバンドとしての成長によるもので、今回は意図的なものだ。前2作を手がけたのはエレクトロニクス使いのポストプロダクションを得意とするイェルゲン・トレーエン。しかし、作り込まれたアルバムとエネルギッシュなライブとの埋まらないギャップ、エレクトロニックな音に飽きもっとオーガニックな音へと向かったバンドの方向性に加え、2003年末にラーシュのソロ Pooka とホーントヴェット兄弟のポップグループ、The National Bank のデビュー作を立て続けにイェルゲン・トレーエンと録音した後、プロデューサーとバンドの双方がこの関係に限界を感じ、バンドは新たなプロデューサーと組む決意をする。

彼らが白羽の矢を立てたのはドイツ人プロデューサー、マークス・シュミックラー。デイヴィッド・リンチと『ツインピークス』の大ファンだという彼らは、ジュリー・クルーズの参加したシュミックラーのプロジェクト Pluramon の “Dreams Top Rock” を気に入り、しかしそれ以外は彼について何も知らないまま賭けに出るような心境で2004年夏にドイツのスタジオでベーシック・トラックの録音をする。それからしばらく音源を寝かせ、十分客観的に聴き返すことができるようになってから、オスロでコーレ・クリストフェル・ヴェルトゥルハイムと最終仕上げを行った。シュミックラーは緻密で何でもこなせるプロデューサー、一方のヴェストゥルハイムはノルウェーではよく知られたプロデューサーであると同時にミュージシャンでもあり、感覚的には Jaga Jazzist のメンバーに近いものを持っているという。プロデューサーがもう1人のプロデューサーをプロデュースするやり方は良かったとメンバーが言うように、2人のプロデューサーは Jaga Jazzist というグループを立体的に見せるのに大きな役割を担っている。

アルバム冒頭はファーストシングルとなる「All I Know Is Tonight」。彼ららしいメロディーはラーシュによるもので、リズムはアンドレアス・シャイによるもの。アンドレアスは前作がリリースされる直前の2002年夏からバンドに加入、既に長いツアーを共にしており、このアルバムでは作曲・アレンジ面での貢献も大きい。

2曲目「Stardust Hotel」のクレジットには前作のリリースをもって自身のバンド Shining に集中するためにバンドを離れたイェルゲン・ムンケビーの名前がある。オリジナルメンバーでバンドの重要なソングライターだった彼をリスペクトしているというラーシュの誘いで新しく書かれた曲だ。イェルゲンがバンドを離れた時、彼は確かに「脱退」という言葉を避け、バンドが新しいアルバムを作る時にはまた協力できれば、と語っていた。Jagaファミリーの一員として、お互いに必要な時にコラボレートできるポジティブな関係がこの曲に反映されている。

このアルバムの音は以前よりシンプルで、それぞれの音が重ならないように配置されている。それがよく分かるのが3曲目「For All You happy People」だ。いずれの楽曲も最初に曲ありきで、リハーサルを重ねながらどの楽器を入れるか話し合い、それに合わせて10人のメンバーほとんどが複数の楽器を演奏しながらアレンジを固めていくそうだ。

Jaga Jazzistのメンバーの多くは現在オスロを拠点に活動している。ヘビーでダイナミックな4曲目には曲と対照的な、首都とは思えない地味なオスロの夜景のイメージからユーモアを込めて「Oslo Skyline」というタイトルが付けられている。

続く5曲目は「Swedenborgske Rom」(スヴェーデンボルイの部屋)。スヴェーデンボルイはスウェーデンの科学者/神学者だが、直接的にはデンマークの映画監督ラース・フォン・トリアーのテレビシリーズ『キングダム』に登場する同名の生と死の間の状態から取られている。ただし彼らは曲名はフィーリング重視で大して深い意味はないと注釈することを忘れない。

この曲の途中、メンバーが楽器を置いて歌い出す場面がある。通常彼らはコンピューターでデモを作り、皆にそのアイディアを聴かせ、次にギターでもっと具体的なデモを作るそうだ。アンドレアスがこの曲を持ち込んだ時、問題の部分はどの音をどの楽器に当てるかコンピューター上で作られていなかった。そこをたまたまボーカルでやってみたら上手くいったのでそのまま残し、さらにこの曲がボーカルの使い方のヒントとなり他の曲にもボーカルを取り入れることになる。これまではインストゥルメンタルバンドということを強く意識してボーカルは使わなかった彼らだが、このアルバムではそういった制約を解き放っている。また逆に原則としてドラムマシーンを使わないなど、積極的に新しい音を追い求めてきた結果が随所に見られる。

終盤の2曲、「Mikado」と「I Have A Ghost, Now What?」も彼ら流のタイトルだ。小さい棒を山から一本ずつ取り出すゲームから名前を取った前者は、長い間アプローチを模索したこの曲にゲームと同様、可能性を秘めた曲という意味を込め、また後者は幽霊を扱ったクレイジーな個人サイトのよくある質問の欄からのものだという。しかしもちろん曲のほうはシリアスだ。特に「ゴースト」のこれまでにないストレートで力強いビートはアルバムの最後で彼らの新しい音を鮮烈に印象づける。

この10年はバンドにとってとてもスローな10年だったと彼らは振り返る。ノルウェーのローカルバンドから、別の大陸にまで活動範囲を広げた今でも、だ。これから先の長期的な目標は世界中で少しずつでもアルバムが売れるようになること、そして何より自分達自身が誇りを持てるアルバムを作り続けることだという。この10年、彼らが稼いだお金は全てレコーディングやプロダクション、スタッフを雇うために費やされ、彼ら自身の儲けはほとんどなかったそうだ。ライブをとても大切だと考える彼らは、そこで最高のものを出し切らなければやっている意味はないとまで言い切る。

この “What We Must” のジャケットにはデザイナーでありミュージシャンでもあるキム・ヨッテイによるトロンボーン奏者ラーシュ・ヴァーベのポートレイトが使われている。彼は医学生で、10周年記念ライブを最後に学業に専念すべくバンドを離れている。ただしここでも彼らは、キム・ヨッテイがたまたま彼のポートレイトを使っただけだとしている。この10年でバンドは特に変わらなかったが、敢えて変わったところを挙げるとすれば、何人かのメンバーがそれぞれの理由でバンドを離れていったことくらいだと言う。

新作に込める意気込みや姿勢を “What We Must” というタイトルに込めた彼らだが、これにはオリジナルが存在する。2004年にスイスの出版社Nievesから100部限定で発行されたキム・ヨッテイのファンジンが “What We Must” というタイトルで、鉛筆描きのイラストにそれぞれ “We must …” という一文が添えられている。このJaga Jazzistの新作に添えるとすれば?との問いに、ラーシュはこう答えてくれた。「”We must continue with this band” <このバンドを続けなければならない>、ほんと、それが全てだからね」。

2005-04-02 / Beat Records / BRC-117 / 原盤 Ninja Tune Recordings & Smalltown Supersound, 2005